真珠の首飾り - un collier de perles -

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真珠の首飾り - un collier de perles -

 アルヴィーゼ・コルネールは思案している。 (金剛石(ディアマン)か、蒼玉(サフィール)か)  あの白絹のような滑らかな肌には、どの宝石が映えるだろうか。 (アメシストも良いが、父親の指輪と同じでは面白くない)  目の前には山ほど書類が置かれた執務机が恨みがましいほどの重厚さで目の前に鎮座しているが、そんなものは目に映らない。  目の前に思い描いているものは、(くび)だ。  白く細く、昨夜唇を付けて赤い痕を残した、官能的な女の頸。―― (あの下を暴いてみたい)  乳房はどんな形をして、その先端はどんな色をしているのだろうか。舌で触れたらどれほど甘いだろう。  アリアーヌ・クレテ教授のことを考え始めると、ペンを持つのも億劫になった。これほどそそられる女はいない。あの女をこそ、乱しに乱して小指の爪まですっかり自分のものにしてしまいたいと激しく熱望した。  自分の中にこれほどの激情があることを今まで知らずに生きて来たことが、不思議でならない。  アルヴィーゼは顎に当てた指の下で唇がひとりでに綻んでいることに気付かなかった。この夢想からアルヴィーゼの思考を現実に引き戻したのは、ドミニクの咳払いだ。 「珍しくお疲れのようですね」  この男らしく皮肉を言って、ドミニクは書類の山の横に熱い紅茶の入ったティーカップを置いた。 「疲れてはいない」  そう言って長い脚を組む主人の顔は、この上なく愉しそうだ。何がそうさせているのか、ドミニクにはもう分かっている。  新しいおもちゃを見つけた悪童のような顔にも見えるが、この場合、その執着の根底にあるものが何であるのか当人も理解しているのだろう。 「出掛ける。馬を出せ」 「はっ?い、今ですか」  突然のことにドミニクは頓狂な声を上げた。てっきり主人は書類に向かうと思っていたのだ。当のアルヴィーゼは白々とした目でドミニクを一瞥した。「当然だ」と、出来の悪い臣下を叱責するような目だ。  ドミニクは居住まいを正し、幼少の頃から側に仕えてきた執事としてできる限りの威厳を込めて、再び咳払いをした。 「まだお済みでないことが山ほどあるようですが」 「ああ。優先事項から片付ける」  アルヴィーゼが立ち上がると同時に、ドミニクはワードローブから秋用の丈の短い上衣を取り出し、主人に袖を通させた。ほとんど条件反射だ。 「…ご政務はどうされます。領地の書類へのお目通しがまだですよ」 「適当に捌いておけ」  こうなると思っていた。  ドミニクはがっくりと肩を落としたが、主人よりも先に戸を開けて馬丁に馬の鞍を付けさせるまでのことを迅速にやってのけた。忠臣の哀しい(サガ)だ。  ユルクスの中心街へ繰り出したアルヴィーゼは、真っ先に最高級の宝石店へと足を運んだ。 「これは、ルドヴァン公爵閣下!」  突然の上客の訪問に店主は驚いたが、すぐさま番頭に奥の部屋を用意させた。 「かようなところへ閣下自らお越しくださらなくとも、お遣いの方を下さいましたらわたくしどもが訪問いたしましたのに」 「時間が惜しい。首飾りをいくつか見せてもらいたい」  ほどなく所望したとおりに首飾りが並べられた。どれも最高の職人が最高級の宝石をあしらって造ったものだったが、まばゆい輝きを放つ金剛石も、いくつもの陽光が反射する海のような蒼玉も、その隣で燃えるように輝く大きな紅玉(ルビー)も、レースのように巧緻な装飾が施された金の鎖も、どれもイオネ・アリアーヌという風変わりでくそ真面目な女の首元を飾るには相応しくないような気がした。  そもそも、飾り気のないあの女が煌びやかな首飾りなど望むだろうか。 (重くて邪魔だとか何とか言いそうだな)  魅惑的な唇を利かん気の強い子供のようにムスッと引き結ぶ教授の顔を想像すると可笑しくなって、唇の端がひくひく動いた。 「ご所望のものはございましたかな」  店主がちょっと不安そうにアルヴィーゼの顔を覗き込んだ。 「ああ、いや――」  顔を上げると、壁に掛けられた海の女神(オスイア)の絵画が目に入った。開いた帆立貝の上に立ち、恍惚とした表情で海の音に聞き入っている長い巻き毛の女神だ。 「真珠がいい」  ほとんど衝動だった。が、これ以上の答えはないだろう。  店主が目の前に広げた真珠はどれも淡いピンクや紫や緑を孕んだ鈍い輝きを放っている。  教授の魅力的な首をこの真珠が彩っている姿を想像するだけで、何と呼んだらよいか分からない不可解な感情が胸を占める。充足感にも似ているし、それと反比例してもっと深く暗い欲望が増すようでもある。  アルヴィーゼは店主に意匠を伝えた。  可能な限り細く軽い金の鎖を用い、トップはアルヴィーゼ自らが選んだ特に色彩と照りの美しい五粒の真珠のみで、他の装飾は一切ない。  宝石商の店主としては、拍子抜けするほど質素なものだっただろう。が、間違いなく美しい出来栄えになるはずだ。店主自身も一流の職人として身を立てた男だから、公爵の感性の鋭さと仕事の迅速さには脱帽した。 「久しぶりに腕が鳴ります、公爵閣下。急げば十日ほどで――」 「五日だ」  アルヴィーゼがきっぱりと言った。 「相応の額は出す。五日で完成させろ」  店主はしばらく口を開けたまま固まったが、アルヴィーゼ・コルネールの有無を言わせない視線を受け、ついに「では、五日で」と請け負った。  そうして完成した首飾りがイオネの首で輝いているのを見た時、アルヴィーゼは柄にもなく拳を握りたくなるほど歓喜した。  野生の美しい獣に首輪をつけた時のように征服欲が満たされたという見方もできるが、実際はもっと単純だ。  が、今度は別の欲望が大きくなった。  即ち、一糸纏わぬアリアーヌ・クレテに真珠の首飾りだけを着けさせ、その頸の柔らかい部分に余すところなく口づけし、真っ赤な痕を残し、見るからに美味しそうな唇を貪り、甘い声で耳を満たしながら、その身体を貫き、神殿の奥に入ることだ。  これほど与え、与えられることを切望したことはない。  ある夜、イオネが真珠の首飾りに細い指で触れながら、夏の夜気に溶けるような声で呟いた。 「一番のお気に入りなの」  あの頃と少しも変わらない輝きを放ち、真珠が白い首を彩っている。 「だから外させて」 「だめだ」 「壊してしまいそうなんだもの」  アルヴィーゼは細い鎖を指で弄びながら、愛しい妻の頸に口付けした。イオネがやめさせようと上げた手を掴んで寝台に押し付けると、非難するような唸り声を気にも留めず、強く吸ってまんまと痕を残した。 「もう!見えるところはいやだったら!」 「そう怒るな。髪を下ろせば隠れるだろう」 「…っ!」  イオネは息を呑み、身を捩った。ドレスの裾から夫の不埒な手が入り込んできて悪戯を始めたからだ。 「ん…」 「ああ、そうか」  アルヴィーゼがイオネの額に落ちた胡桃色の髪を払い、低く甘い声で笑った。イオネのスミレ色の瞳が燭台の灯りを受けて暗く光り、その奥に欲望を映し始めた。 「見えないところならいいということだな」 「ひゃっ、あ!」  アルヴィーゼはまんまとスカートの中に潜り込み、両脚の付け根に交互に吸い付いた。イオネは無意識のうちにもどかしそうに腰を揺らし、身体でその先を強請った。アルヴィーゼのそれもすでに苦しいほどに大きく膨らんでいる。  焦らすことなく中心に吸い付き、その奥へ深い口付けをして、イオネに甘美な忘我をもたらした。  夜宴のために着飾ったドレスをすべて剥ぎ取った時には、イオネの身体は熱く火照って身体の中心から欲望が溶け出していた。  アルヴィーゼは妻の唇を奪うように貪り、舌を舌で侵し、柔らかい身体をきつく抱きしめると、しなやかな脚を持ち上げ、硬く立ち上がったもので奥まで貫いた。 「ああ!」 「く…」  歯の間から歓喜の呻きが漏れた。同時に、夢中になって激しく打ち付けた。イオネは母になってもなお魅惑的な肉体の持ち主だ。出会った頃は少し痩せすぎていた印象だったが、子供ができてからは肉置きが程よく豊かになり乳房も赤子のために大きくなった。  この変化は、アルヴィーゼにとっては至福だ。この女のすべてが愛おしい。  狂おしいほどの感情を刻み付けるように、イオネの奥を繰り返し穿った。イオネが甘く蕩けた顔でアルヴィーゼを誘惑し、その肉体のように柔らかく深い愛情をその目に映した。 「ああ、イオネ。愛している」 「アルヴィーゼ、わたしも…」  二人の唇が汐の満ち引きのように触れ合った。  アルヴィーゼは玉のような汗が浮いたイオネの肌を指で拭ってやり、愛らしい額に口付けをして、首飾りを外してやった。イオネは何度も昇り詰めさせられたお陰で声も出せないでいたが、肩で息をしながら満ち足りた瞳でアルヴィーゼを見上げた。 「だめよ」  と微笑みながら言ったのは、アルヴィーゼが無造作に首飾りをサイドテーブルに置いたからだ。 「なんだ」 「ちゃんと箱に仕舞うの」  イオネは寝台からよろよろと降りて化粧台から楕円形の陶箱を持ってくると、真珠の首飾りを几帳面に収めてサイドテーブルに置いた。  アルヴィーゼは肘をついて寝台に横たわり、隣に戻ってきたイオネを腕にすっぽり包み込むと、肩まで毛布を掛けて自分もその中に包まった。 「そんなに大事か」 「ええ」  イオネは柔らかく微笑んだ。こういう笑い方も、子が生まれてからよくするようになった。 「せっかくあなたが意匠から考えて作ってくれたんだもの」  アルヴィーゼは目を丸くした。  イオネは夫の珍しい表情を一秒も見逃さないよう、ちょっと悪戯っぽく笑いながら覗き込んだ。 「知っていたのか」 「ふふ。わたしが知っていることを知らなかったのね」 「いつからだ」  アルヴィーゼもいつの間にか笑っていた。 「さあ、いつだったかしら。でも、あの時知ってしまっていたらあなたに突き返していたでしょうから、最初に気付いても気付かない振りをしていたのかもしれないわ。一目見て気に入ったんだもの」 「お前という女は」  アルヴィーゼは得意げに笑う妻の唇を奪い、その身体をきつく抱きしめた。  腕の中でまろやかな眠りに落ちたイオネの肌をするすると撫でながら、アルヴィーゼは思案した。 (首飾りだけ身に付けさせた絵を描かせようか)  と、ほんの一瞬魔が差して、すぐに却下した。 (愚考だな)  この姿を目にすることを赦されるのは、永遠にアルヴィーゼだけなのだ。
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