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第十八話 イリイドの森
血液を用意した後、私はセリーヌに声をかけて洋館をあとにする。
セリーヌは不満そうだったが、危ないからとなんとか説得して、シュトラウスとともにお留守番してもらった。
そしてやって来たのはイリイドの森。
ここへは二、三年に一度はやって来ている。
大抵は向こうから何かしらのお願いがあって呼ばれたり、もしくはお互いに育てている植物の交換だったりだ。
前にここにやって来たのは二年前。
ちょうど薬に使う植物の交換に来たとき以来だ。
「ちょっと様子が変わった?」
カラスのプレグから降り立った私は、森の入り口で首をかしげた。
二年前に来た時と結界の種類が違う。
前の結界は、魔女以外からの認識を阻害するタイプだったはず。
それが、誰が相手でも阻害する結界へと変わっていた。
なので、いま私の目の前には何も存在していない。
私の紫の魔眼が、不思議を視る目でなければ見逃していただろう。
私の紫の魔眼は不思議を生み出す。
そして不思議の流れを見抜くことができる魔眼だ。
だけど見抜くだけだ。
視えたところで、それをどうにかする術を知らなければ意味がない。
私は結界の境界線があるであろう場所に手を近づける。
触れたかと思った瞬間、バチッという音を発して結界に弾かれた。
認識を阻害するだけではなくて、弾きもするのか……。
「変ね?」
私は腕組みをして考えこむ。
魔女の隠れ家が結界を張ること自体には問題はない。
むしろ張ってなかったら指摘して、一緒に結界を張らせるところだ。
しかし同胞まで弾く結界はおかしい。
これでは彼ら自身も出入りに苦労する。
ここのところ魔物の活性化が目立つ。
もしかしてそれに対する応急措置だろうか?
「そうだとしたら破壊して入るわけにはいかないわね」
私は静かに目を閉じる。
破壊できないのなら、結界の不思議の濃度に自身を近づけるしかない。
基本的に結界とは、異質なものを弾く性質の魔法だ。
そうであるならば、結界が異質と理解できない不思議の分量で通れば良いだけのこと。
例えば、結界そのものと同じになるとかだ。
十分間、私は魔眼の力を最大限に働かせながら自分の不思議の総量をコントロールする。
そうしているうちに、ほとんど同じ不思議の濃度に調整できた。
あとは通るだけ。
私は片手を恐る恐る伸ばす。
伸ばした手が、さきほど結界に弾かれた箇所に到達し、そのまますり抜けた。
「成功ね」
私はそのまま一息に結界を突破し、イリイドの森に侵入した。
結界の中は、外とはまた異なった景色を見せてくれた。
二年前に訪れた時と同じだった。
イリイドの森に生えている木々は、私の山に生えている木とは種類が異なる。
ここの地名となっている通り、イリイドの木がひたすらに続く森。
イリイドの木は、不思議を空気中に満たす木で、魔女たちが隠れ住むにはもってこいの森なのだ。
私は森の景色を見渡しながら、大気中に充満する不思議を魔眼を通して視界に納める。
昔はイリイドの木に頼らなくても、大気中にこの程度の不思議は含まれていたのだ。
村や街のような人間たちの生活圏内でも、不思議はそこらに溢れていたし、その担い手は共に生活していた。
お互いの生活をサポートし、共に支えあって生活していたのだ。
しかし人間たちが科学を進歩させ続けた結果、不思議は大気中から消え去ってしまった。
完全に消えたわけではないが、不思議は本能的になのか不明だが、科学が溢れる場所から距離をとった。
「うん?」
私は森を見渡しながら進んでいく中で、おかしな点に気がついた。
おかしい。
小鳥や動物が一切いない。
鳴き声もしない。
風すら吹いていないように感じる。
あの結界が機能しているとはいえ、いくらなんでも静かすぎる。
仮に動物たちですら入り込めない結界なのだとしても、それにしたって結界内にただの一匹も存在しないなんてことがあるだろうか?
「不思議の量もおかしい……」
ちょっと嫌な予感がした。
森の中に充満する不思議の総量がおかしいのだ。
あまりにも多すぎる。
いくら結界の中に不思議を閉じ込めているとはいえ、不自然なほどだ。
「おいで」
私は静かに告げる。
炎が一周して、白銀のオオカミが姿を現す。
「あっちに向かいなさい」
私はプレグの背にまたがり、隠れ集落があるであろう方角を指さす。
走り始めたプレグの背中の上で、私は魔眼を使って不思議の流れを追うことにした。
しかしあまりにも濃密すぎる不思議のせいで、流れそのものが視えなくなっていた。
降りしきる雪で足跡が埋まっていくみたいに、魔法を行使した痕跡が不思議によって上書きされていく。
「もうちょっと!」
この焦る気持ちの答えを知るには、直接見るしかない。
プレグは獣道を走り抜け、不思議の濃度の割に異様に静かなイリイドの森を疾走する。
目の前に茂みが見えた。
確かこの先だ。
この先に隠れ集落が存在するはず!
「なに……これ?」
茂みを抜けた私は、プレグの背中から力なく降りて呆然と呟いた。
この隠れ集落には二十を超える魔女たちが生活していた。
各々にそれなりに立派な小屋を建てていて、薬の調合などに使う薬草を育てていた。
だからたった二十人でも、それなりに規模の大きな集落だった。
それが、それなのに……。
「一体なにがあったの?」
集落にあった建物はそのほとんどが半壊、もしくは全壊しており、建物のあいだには数人の魔女たちが死体となって横たわっていた。
どうして数人だったかと言えば、それしか人としての原型を留めている者がいなかったからだ。
隠れ集落は本当に酷い有様だった。
所々に火の手が上がって黒煙をあげ、肉の焼けつく匂いと圧倒的な血の匂い。
地面は血で汚され、綺麗だった畑や花壇は無残に踏み荒らされていた。
まさに地獄そのもの。
年甲斐もなく膝が笑う。
恐怖と怒りだ。
この殺し方は知っている。
あいつらだ、影の魔物だ。
どうして吸血鬼の成れの果てが、この場所に出現したのかは分からない。
それにあの結界を張ったのが本当にここの住人であるならば、影の魔物といえど侵入は難しいはずだ。
となるとあの結界を張ったのは……。
「貴女ね、メイスト?」
「ご名答、流石ねリーゼ・ヴァイオレット」
メイストは私の視線の先、魔女たちの隠れ集落の真ん中に立っていた。
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