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第二十四話 人語の魔物
私たちがイリイドの集落から洋館に戻ってきてから、十日ほどが経過していた。
シュトラウスは空の上で聞いた私の話を、一切蒸し返そうとはしなかった。
それはセリーヌが、どこで聞き耳を立てているのか分からないというのもあるだろうが、もしかしたら気を使っているだけなのかもしれない。
シュトラウスの用意した結界の中にいたセリーヌは、私たちが洋館に到着した時点で解放されていたが、当の本人は結界の中にいるあいだのことを一切憶えていない。
流石の結界であると同時に、こうしていればセリーヌを守りながら二人で戦えることに気がついたのが収穫だった。
そしてこの十日間、私たちは一時の休息を得ていた。
セリーヌはすっかりシュトラウスに慣れ、というよりも懐いていて、彼の持つヴァイオリンを常に狙っている。
シュトラウスはそんな彼女にヴァイオリンを奪われてはご立腹だが、なにせ貧血が酷いためやられたい放題となっている。
しかしそんなシュトラウスも、三日に一度のウサギの血を飲む日だけはヴァイオリンを死守して、洋館に綺麗な音色を響かせていた。
私はそんな彼らを横目に薬草を鍋にぶち込んで薬を作り、密かにプレグでギルドマンのところに配送している。
この前届いた手紙に傷を早く治す薬が欲しいと書いてあったので、それ相応の金額で売買を行っている。
メイストを倒してからというもの、私はギルドマンとカラスのプレグを通じて物や手紙のやり取りをし始めた。
お互いの現状やお願い事や注意喚起などなど、手紙に込める内容は多岐にわたる。
薬の売買契約も、その手紙によってもたらされたお仕事と言える。
「パンケーキ焼けたよ」
「はいはいありがとう! すぐ行くから先に待ってて」
調合室にいた私は呼びに来たセリーヌの頭を優しく撫でて、彼女を先にテーブルに向かわせた。
「なんでこの家の朝食はほとんどパンケーキなんだっけ?」
「あれ? 前に言わなかったっけ? あの子がパンケーキしか作れないからよ」
「マジ?」
「何か文句ある?」
「いや何も」
シュトラウスは口笛を吹きながら、そそくさとセリーヌの待つ部屋に向かって行った。
彼は昨日の夕方にウサギの血を飲んでいるため、まだ貧血の度合いは低い。
足取りも心なしかしっかりしている。
「そろそろ行かないとセリーヌが怒っちゃう」
私は調合室を出て彼女たちの待つ部屋に向かう。
「お待たせ」
「おそい~!!」
「ごめんって」
私はセリーヌを宥めて席に着くと、パンケーキにハチミツを塗りたくり食べ始める。
食べながら、私は昨晩届いた手紙の内容を思い出す。
手紙によると魔物の数は増え続け、さらには凶悪化もしているらしい。
だけどそれはべつに今に始まったことではなく、前々からの現象だ。
それこそハルムが迫っている現状では仕方のない話だ。
だが一番気を引いたのは次の一文だった。
魔物たちに前よりもしっかりとした知性を感じると、具体的には人語を操ると書かれていた。
「セリーヌは喋る魔物ってどう思う?」
「なんか可愛いと思う!」
新たな知見を得ようと思い、セリーヌに尋ねたがなるほど新しい視点ではある。
まったく同意はできないが。
「シュトラウスは?」
私がシュトラウスに話を振ると、シュトラウスは両腕を組んで考えこんでしまった。
どうしたのだろう?
単純に感想を尋ねただけなんだけどな。
「今まで長いこと生きてきたが、人語を操る魔物なんて聞いたことがない」
シュトラウスは数秒の沈黙の後にそう答えた。
確かに彼のいう通り、魔物が人語を操るなんて聞いたことがなかった。
だけれど私は一度だけ見ている。
それこそ最近の話だ。
魔物が同胞の魔女に化けていたではないか。
あれは人語を操ると言える。
「最近でいいなら私はあるけど、普通ではないわね」
私はそう結論付けた。
だってそうでしょう?
魔物が人間と同じように喋っているとなると、途端に殺しにくくなる。
「原因がハルムにあるのは間違いないだろうが……」
そこだけは確定だろう。
ハルム以外に、魔物に変化を加えられる存在を私は知らない。
「なあリーゼ。一〇〇年前はどうだった?」
シュトラウスは唐突に尋ねてきた。
どうだっただろう?
言われてみれば魔物たちはどう変化した?
なかなか思い出せない。
なにせ一〇〇年も前の話だ。
朧げな記憶を辿っていく。
魔物魔物魔物……。
「……数はやや増えた。凶悪化もしていたように思うけど、人語を操る魔物は現れなかったと思う」
あくまで思うの範疇だが、それがどうしたというのだろう?
彼は何が知りたいのか?
「そうか……なあリーゼ。アンタには酷な話になるかもしれないが今回のハルム、レオ・ローゼンの意識が僅かに残っているかもしれない」
この吸血鬼は何を言っているんだろう?
彼の言葉を聞いた私の最初の感想がそれだった。
ハルムの中にレオの意識が残っているかもしれないだと?
そんなバカなこと……。
「仮にそうだとして、どうして魔物が人語を操るのよ!」
私は必死に否定する材料を探す。
レオの意識が残ったハルムなんてとんでもない。
そんなことを言われてしまっては戦えない。
「ちょっと不思議に思ってたんだよ。ハルムが一〇〇年前にリーゼに撃退されたって聞いていたから、リーゼを警戒して狙っていると無理矢理納得してたんだけど、実際はレオ・ローゼンが生贄になったんだろう? だったらどうしてハルムはアンタを警戒する?」
シュトラウスの言葉にハッとする。
確かにそうだ。
ハルムに私を狙う理由なんて存在しなくなる。
「警戒と違うのであれば、それは何か別の意思が働いていると考えたんだ。たとえば好意とかな」
「好意?」
「レオ・ローゼンとやらはアンタの恋人だったのだろう? 彼の意思がまだハルムの中に生きているとしたら? それなら説明がつく。人語を操るのだってアンタと話したいんだろうさ。少なくともそういう意識が表面化したものだと我は思う」
私は頭の中で彼の言葉を整理するので精一杯だった。
彼の意識はまだハルムの中で生きている?
”生きている”!!
「リーゼ?」
シュトラウスの話の一部分にフォーカスした私は、都合のいい妄想の世界に入り込みそうになるが、セリーヌが私の右手を掴んで離さない。
きっと彼女なりに何かを察知したのだろう。
「あんまり変な気を起こすなよ? ハルムは不思議の集団的無意識そのものだ。一個人の意識などほとんど残ってはいない。あくまで残滓のようなものだ」
シュトラウスは私に遠回しに警告するが、この時の私の耳には入らなかった。
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