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1 夢オチならぬ夢出だし
音麿よ。君って確かさ、ブリタニースパニエルとかじゃなかったっけ? なんでそんな小さくて、チベットスナギツネみたいな顔してんだ?
そう訝しむ俺に、チベスナ顔の自称音麿は言った。言ったんだ。日本語を。発話している。犬なのに、だ。
「助けてほしいんだよ! ジン、きみの力が必要なんだ!」
はっ。この、どこにでもいるフツーの男子高校生に何ができるってんだい。俺は丁重にお断りした。その代わり、朝起きたらいつもより少〜し多めにフードをやるよ。それで手打ちだ。
「う〜〜ん。約束だからね! でも、今一度、考えてみてほしい!」
チベスナ音麿はふわりと遠くに消えていった。
――朝起きたら。つまりこれは夢の話だ。
俺は起きて、自室から短い廊下を抜けてリビングに出た。忙しなく支度を進める母さんはいつもどことなく粗忽で、また音麿のごはんを後回しにしている。
「……まあさっき、約束したからな〜」
そんな独り言を呟きながら、音麿の皿にフードを盛ってやる。当たり前だが、音麿はちゃんとブリタニースパニエルの姿をしていた。
「ちょっとあんた音麿のごはん眺めてないでさっさと! 自分の朝ごはん食べな! 食器洗ってから出たいのお母さんは。大体学校まで何分かかるの? そんなのんびりして間に合うの?!」
母さんは余裕がない時に口数が増える。そこに意味はあまりない。俺は慣れているから、軽く流して遇らった。
食卓テーブルの端に用意されている弁当の巾着袋に、きちんと箸も入っているかどうか確認して、カバンに詰めこむ。
「いってらっしゃい! 気をつけてね! アレ持った?! スマホとティッシュとハンカチと自転車の鍵――信号をよく見て――」
わかったから!! 母さんこそ気をつけてよ!!
教室についたら、短く癖のない射干玉を窓から吹き込む秋風に戦がせた色男が俺の席を陣取っていた。その席のヤツ、そんな雅なイケメンだったらいいんだけどな、あいにく俺だ。どこにでもいるフツーの……
「グッモーニン松尾ォ! おおんどうした? 朝から疲れ果てた顔して……あっ! ハァ〜ん、さてはオヌシ、徹夜でゲームしてたろ」
ちげーよ。でも似たようなもんか。長々と変な夢を見て、眠りが浅かったし。
机の横のフックに重たい鞄をかける。それでもイケメンは席を立たず、スクエアの黒縁眼鏡の奥に涼しげな瞳を輝かせながら居座り続けている。
俺の席を陣取るイケメンこと、阿部ちゃんがせっかくのイケボを無駄遣いして続けた。
「松尾ォ。相棒が助けてって言ってんなら男が取るべき選択はひとつよ? たとえチベスナだろうとそいつは音麿なんだぜ。見た目に惑わされて、チベスナだから助けないとか、お前最低だぞ」
俺は頭を抱えた。
話しているうちに、だんだんと教室に生徒が揃って賑わってきた。なぜか隣のクラスの奴もちらほら混ざっている。教室のドアの周りで、誰かが女子たちに取り囲まれている。ドアの前塞ぐと迷惑だぞお前ら。
「うわ〜っ田澤さんじゃん! いや僕は別に興味ないけど、近くで見るとやっぱアレよね、わかるぞ、人気がある理由が」
俺にはわかんないよ。性格キッツイもん、と俺は答えた。
田澤リョウ。この前転校してきたばかりなのにもうこんなに目立ってて、勝ち気で自信満々な態度が、俺のような冴えない小市民には眩しすぎて逆に反感を抱く。肩口で切り揃えた、明るい色の波打った髪。それだけ見ればワンチャン子犬みたいだ、となるかもしれないが……
無駄に姿勢が良くて、皆と同じ上履きなのに高らかな足音が聞こえてきそうな圧のある歩き方で、田澤さんが取り巻きを退けこちらに向かってくる。彼女こそ隣のクラスの、いわゆるマドンナ的なやつ。
田澤さんは、パッと開いた掌をこちらに向けて、
「おは」
と極めて短い挨拶をしてきた。
「ヒョッ……はようございます……」
俺なんかしたか? したかもしれん。性格キッツイて言ったの聞こえたか。まずい。
「面白そうな話聞こえちゃってさ〜。あたし、夢の話とか結構好き」
田澤さんは俺の机に軽く腰掛け、にこにことこちらの出方を伺っている。俺は支離滅裂な夢の話など、まずどこからどう話せばいいのかわからなかったし、田澤さんのこちらを舐めるような視線が痛くて逃げ出したくてたまらなかった。
パッチリと大きな瞳が俺を吸い込まんとする。その引力に抵抗すべく俺は身を強張らせた。
周りの奴らはそう思ってないみたいだが、俺はなんとなくこの田澤さんという転校生が少々、いやかなり不気味な存在だと感じてしまっている。
阿部ちゃんはというと、弓形にした薄い唇に、これまた彫刻みたいに美麗な手を添え、目を細めてこのシュールな場面を眺めていた。
おい阿部ちゃん。黙るな。お前が喋ってくれ、得意だろ? そして俺を助けてくれ!! 相棒が助けてと叫んでる!! 心の中で!!
「音麿チャンのこと、助けてあげないの〜?」
チャイムと同時に田澤さんは、そう言って軽やかに笑いながら自分の教室へ帰っていった。
「……松尾お前、田澤さんに目ぇ付けられてんのか? こりゃ面白いことになってきた……フフ……ていうか田澤さんって、夢の話とかそんなほわほわした話題好きなんだ。僕はてっきり、日本神話とかが好きなのかと――」
阿部ちゃんは堰を切ったように話し出す。遅いよ。それに神話も別の意味でまあまあほわほわしてないか?
俺は別に優等生とかではないんで、授業中はもっぱら音麿スナギツネをどうするかに脳内が占領されていた。
――しかし、夢の続きをまた見ることも無いだろ。
放課後、阿部ちゃんの迫真のお笑い芸人のモノマネとかを聞き流しながら家路につく。阿部ちゃんはさあ、もっとその身に授かりし恩恵に相応しい言動をしたらいいと思うんだ。いや、これは余計なお世話か。おもしれー阿部ちゃんのことが俺は好きだしな。
帰宅したら、本物の音麿がいつものようにチャカチャカ走ってきて、ベロベロ顔を舐めて出迎えてくれた。
「なあ本物の音麿、君も音麿スナギツネ助けたほうがいいと思う?」
「わん! へっへっへっへっ、」
「そっか〜」
俺は、元気よく返事をした音麿の頭をくしゃくしゃ撫で回した。
――その晩、あろうことか、また夢枕にチベットスナギツネの方の音麿が立った。
「フードは美味しかったんだけどさ、ねえジン。それはそれ、これはこれ……てことで、もっかい頼みに来たの」
見た目はチベスナだけど音麿が喋るとこんな感じなのか、ちょっと可愛い声してるかも。とか思っている俺はきっと、この状況に少し慣れが生じてきてしまったのかもしれない。いやそんなわけない……と頭をブンブン横に振る。
「ええ〜ッ助けてくれないの! そんなぁ! ぼく、このままじゃ夢庭から追い出されて路頭に迷ってしまうよう……」
いやそうじゃなくて、と音麿スナギツネに掌を伸ばすと、音麿スナギツネはがっしりと俺の手を掴んで、
「えっ?! てことは助けてくれるんだね!! よかった!! じゃあ今すぐ夢庭に来て!!」
と強引に俺を引っ張ってどこぞへ連れて行こうとする。
夢庭って何だ!?
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