1:悪魔はプラダを着ているか(4)

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 悪い人間ではない、とは思う。  風の噂、くらいの話においてもマイナス要素の内容が加わることはない辺り、どちらかと言うと”いい奴”という部類に入るのだろう。それでも彼に対してあまり良い印象を抱けないのは、あまりにも自分勝手が過ぎるからだ。  こう、と思ったら周りを顧みずに突っ走る。自分の行動が誰かに迷惑を掛けるかもしれない、という考えは毛頭ない。仕事面においてそれは良い形で発揮されているようだけれど、プライベートに及ぶところでそれを押し付けられているこちらにしてみれば、ひたすら悪影響でしかない。  短所も長所に置きかえられ、そこここで高評価を得ている実力派のエリートも、私の目には短慮で独善的で幼い人間、としか映っていないのだ。  そして、私が浅野くんを頑なに拒絶する決定的な理由は、それだけではない。 「そういや、もう二か月ぐらいたつんだっけ」 「何が?」  パンを頬張ったお陰で満足に開かない口元を押さえながら、芹香を見つめ返す。  芹香はにやにやしながら次のパンに手を伸ばした。 「ほらぁ、あれよあれ。酔っぱらった拓己に抱きつかれながらプロポーズされたあの事件!」 「ちょ……っ、芹香!」  芹香の厭らしい笑みの載ったその言葉に、私は自分の顔が一気に紅潮したのが分かった。 「もうやめてよ。あんまり思い出したくないんだから」 「ごめんごめん。でも、忘れたくても忘れられないって言うかさ~」  それは”交流会”という名目で、各部署の有志のメンバーが集まった食事会、もとい、飲み会で起こった事件だった。  開始当初からハイペースでグラスを空けていたらしい浅野くんは、私を含めたノンアルコール組が囲むテーブルに割り込んできて、何の前触れもなくいきなり私に抱きついたのだ。  しかも、「愛してます、結婚して下さい!」という謎の言葉を大声で添えながら。  もちろん、他の社員さんたちがすぐに引きはがしに掛かってくれたし、和やかな笑いも起きていたことから、そこにいた皆――一部の女性社員たちを除いて――は、一様に”酔っぱらいの悪ふざけ”として認識していた。  私自身も、内心は穏やかでいられなかったものの、その場の空気に合わせて何とか笑って躱せていたと思う。だけど、社員どころか見知らぬ人の目もある中での出来事だったこと、また男性に対してそれほど免疫がなかったこともあって、受けたショックは大きすぎるほど大きかった。  そんな私に更なる追い打ちを掛ける騒動が起きたのが、その翌日のことだった。前日の晩の、セクハラと訴えられても仕方がない行為を謝りに来た浅野くんは、同時に信じられないことを口走ったのだ。
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