1:悪魔はプラダを着ているか(5)

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 私は一度しまったスマートフォンを再び取り出すと、着信履歴から先ほど掛かって来た電話番号を選択し、通話ボタンをタップした。 『はい。ラ・リューヌです』  少し多い回数のコールの後、ようやく相手が電話口に出てくれた。  が、先ほどの暮野さんとは声が違う。思った相手ではなかったことに一瞬たじろいでしまったけれど、咳払いをして気を取り直した。 「もしもし、帆高と申します。あの、」 『えっ……』  話を進めようとした私の言葉を遮るように、突然驚嘆の声が上がる。 『帆高……咲葵、さん?』 「あっ、はい、そうです。あ、あの、暮野さんはいらっしゃいますか?」 『……』 「……?」  電波が途切れたのかと思ったけれど、そうではなかった。一瞬、相手が息を飲んだような声が聞こえたからだ。突然走った沈黙に不安を覚えながら、私も相手につられるようにして黙り込んでしまった。 『あ、ああ……。ええ、と。少々、お待ち頂けますか』  ようやく、たどたどしいながらも返答があり、直後に保留音が鳴り響く。私はここぞとばかりに、小さく深呼吸をして心を落ち着けた。  見知らぬ人との電話は、やっぱりどうしても苦手だ。仕事ならまだ割り切れるところもあるからソツなくこなしていけるけど、それでもよくいろいろと仕出かしてしまう。  そんな私だからこそ分かるものがあると言うか、不慣れさを感じさせる相手の電話対応から、自分と同じように苦手意識を持っているのかも、と勝手に親近感を抱いていた。 『お待たせしました。申し訳ないが彼は手を離せない状態でしてね。代わりに私がお伺いしましょう』 「あ、えっと……。先ほど暮野さんからご連絡を頂いて、予約の前倒しができると伺ったんですけど」  再び電話口に戻った相手は、先ほどとは打って変わってスムーズに対応している。その口調はまるで誰かと入れ替わったのではないかと思えるほど堂々としていて、私はギャップに戸惑いながらも、頭の中でシミュレーションしていた内容を話した。 『それは今週木曜日に繰り上げ、ということで宜しいですか?』 「そうです。さっきは一度お断りしたんですけど、もしまだ空いているなら、そこに入れてもらえないかと……」 『分かりました、ではそのように手配しておきましょう』 「えっ、大丈夫なんですか?」  駄目かもしれないという思いで問い合わせた要望が、難なく受け入れられたことに動揺し、私は思わずそのように聞き返してしまった。 『まあ、無理だとしてもどうにかしますので』 「む、無理してまでねじ込んでもらうのは気が退けるんですけど……」 『冗談ですよ。ちゃんと空いておりますから』 「あ、そ、そうですか……」  苦笑交じりの返答に、なぜか頬が熱くなる。  対面すらしたことのない男性にからかわれるのは、何とも居心地が悪い。悪いのに、この時私の心に湧き上がっていたのは、意外にも嫌な感情ではなかった。 『迎えの場所と時間は、先ほど打ち合わせたものと同じで良いですか?』 「あ、はい」 『ああ、そう言えばまだ名前を伝えておりませんでしたね。私、都倉(とくら)と申します。もしまた何かありましたら、私宛てにご連絡下されば対応しますので』 「は、はい。よろしく、お願いします」 『では木曜日、お待ちしております』 「はい」  電話を切り、呆けたように画面を眺める。  何故か、今のたった数分、ほんの少しのやり取りが頭を駆け巡って離れない。何がきっかけなのか、どこが心の琴線に触れたのか。ドキドキ、ワクワク、そんな言葉がぴったり当てはまるような高揚感。  この訳も分からず弾む感情は、ここしばらく感じていなかったものだと思った。 「どしたの? 大丈夫?」  芹香が不安の色を声色に乗せ、私を覗き込む。  私はまだぼんやりしたまま、ゆっくりと顔を上げた。 「……咲葵?」 「え、あ……うん。予約、前倒しできたよ」 「じゃなくて。何よその顔。めっちゃニヤけてるんですけど」 「えっ」  慌てて頬を撫でて確かめようとするも、自分がどんな顔をしているか分かるはずもない。 「私、変な顔してる、かな?」 「変って言うか……。そうだなー、初めての修学旅行を来週に控えた小学生、って感じの顔かな」  芹香の具体的なたとえのおかげで、私は自分の表情がどれほど昂ぶったものなのかが簡単に想像でき、思わず盛大に吹き出してしまった。 「ひ、ひどいね、私。そんなに興奮した顔してるんだ」 「ひどくなんかないよ、寧ろいい顔だよー。写真撮っとこうか?」 「それはやめて下さい」  ふっと真剣な顔に戻った私を見て、今度は芹香が吹き出す。私もつられて笑い、それを見た芹香もまた可笑しさが込み上げて……。  私たちはしばらくの間、そんなとりとめのない笑いを楽しんだ。
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