2:ローマで休日を(1)

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「あ……え、えーと」 「……」  言葉もなく見つめられ、緊張感と鼓動が否応なしに高まっていく。  不快感はない。けれど気分がいいかと問われれば決してそういうわけでもなく、どちらかというと居心地の悪さを感じた私は、必死に考えてこの沈黙をどうにかしようとした。 「都倉さん。あの、」 「玲、と呼んで下さい」 「あ、はい。……え?」  その場の雰囲気、流れで承諾してしまってから、問い返す。 「いっ、いやそれはちょっと初対面では難しいと言うか」 「では私も咲葵さんと呼びます。それなら良いでしょう?」 「いいって何が!?」 「出発しますよ」  私の問い掛けには答えてもらえないまま、車はゆっくりと走り出した。  膝の上で固く握りしめた掌は、今度は間違いなく不快感を覚える程に汗をかいている。 「……あの、すみません。お店まではどれくらいかかるんですか?」  この妙な空気感をどうにかしようと、当たり障りのない話題を持ちかけてみた。 「十分から十五分ほどです。道の混雑具合にもよる、と言いたいところですが、まあこの辺りは事故でもない限り混むことはありませんから」 「そう、ですか…」  できる限り早くこの空間から脱したいと思っていたので、渋滞することはないというその情報は私の心を幾らか楽にしてくれた。とは言え、ある程度は我慢をする必要がありそうだ。  静けさを誤魔化したい気持ちでいっぱいの私が、何か話のタネになるものはないかと、車窓を流れる景色に目をやった時だった。 「これは……」  カーオーディオから流れ始めた音楽に、自分の中の遠い記憶が呼び起こされるような感覚を覚えた。 「ジャズ、ですよね?」  ノスタルジックなメロディーに興奮にも似た感情を抱きつつそう尋ねると、都倉さんは小さくうなずいた。 「音楽には疎いので、細かいジャンルはよく分からないんですがね。このCDも亡き友人から譲ってもらった物でして」 「そうなんですか……」 「スウィングがどうのこうのと、やたら熱く語る奴でした。ジャズの何たるかは未だにちゃんと理解はできていませんが、それでもこの曲は心地良く感じるんですよ」  ハスキーなトランペットの音色が響く中で、都倉さんの話に耳を傾けながら、私はなぜかその”亡き友人”という人に父の姿を重ね合わせていた。  父は仕事柄、あちこちの国へ出張に出かけることが多かった。帰ってくるたびに持ち帰るお土産にはなぜか必ずジャズのレコードが入っており、それを聴きながら家族だんらんの時間を過ごすのが帆高家の日課だったのだ。  母の手料理の香り、混ざるように揺蕩う旋律。耳にタコができる程聞かされたジャズ談義や、食事を妨げないようにと窘める母の言葉……。 「どうしました?」  突如湧き上がるようにして蘇った記憶に戸惑い、黙りこくってしまった私に、都倉さんが心配そうに声を掛けてくれた。 「あっ、大丈夫です。何でもないです」 「車酔いしたのでは? もしそうなら」 「いえ、本当に何でもないんです。私、どんな山道で揺られても酔わない体質ですから」  私がそう返すと、都倉さんはルームミラー越しに私をちらりと見て「おや」と呟いた。 「そうでしたか。それはまた、意外ですね」 「……意外、ですか?」 「ああいや、何というか……まあ、ただ私が勝手なイメージを抱いたまでで」  意外だ、という感想が返ってくることが意外で思わず問い返した私に、都倉さんは取り繕うようにそう答えた。  私、車酔いしそうな顔つきをしているんだろうか。いや、そもそも車酔いしそうな顔ってどんな顔なんだろう。  悶々としながらも、深く突っ込んで聞くことでもないだろうと思い、それ以上の追及はしないことにした。
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