1:悪魔はプラダを着ているか(1)

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帆高(ほだか)さん?」  ハッと気づいて顔を上げたそこには、椅子の背もたれにできる限り体重を預け、腕を組みながらこちらを見上げている新山(にいやま)部長の姿があった。 「返事がないけど、私の話ちゃんと聞いてた?」 「あ……え、っと」  怪訝な表情を浮かべながらそう聞かれて、私は慌てて記憶をたぐり寄せた。 「来週の締め日には間に合うように、経費チェックの手伝いを」  しどろもどろになりながらもなんとか答えたけれど、間違ってはいないはずのその返答は、新山部長の機嫌をわずかに損ねたようだった。 「……まあ、いいわ。あくまで手伝いなんだし、とにかく無理はしないでちょうだい。手が回らないと判断したなら、早めに相談して」  強めに引かれたアイラインによって、私に向けられた彼女の眼光はことさら鋭いものになっている。気遣いをしてくれているのはその言葉から伝わってはいたけれど、それ以上の圧力を感じた私は、消え入るような声で返事をすることしかできなかった。  失礼します、と頭を下げて自席に戻る。デスクで私を待ち構えていたのは、すっかり冷めたコーヒーと、山積みになっている書類だ。山積みとは言っても、隣の席に置いてあるパソコン画面の上半分が、立ち上がって覗き込まなくても顔を少しそちらに向けただけで見ることができているので、今のところはまだ少ない方だと言える。 「何かミスでもあった?」  そのパソコンに向かって何かの数値を入力しながら、二年先輩の仲村(なかむら)さんが声を掛けてくれた。部長に呼びつけられるのはだいたい注意を受ける時なので、きっと心配してくれたんだろう。 「いえ、そろそろ精算の締め日が近いから」 「あー。経理の手伝いね」  いやそうに顔をしかめる仲村さんに、私は苦笑しながらうなずいた。 「帆高さん、いつも指名されてるよねぇ。断ってもいいんだよ?うちらだって忙しいんだし」  キーボードを打つ手を止めてこちらに向き直りながら、仲村さんは呆れたようにそう言った。 「でも、経理の担当だけじゃ大変なのは確かだし、困ったときはお互い様ですから」 「あっちはほとんど頼りっぱなしで、お返しなんてしてくれたことないじゃない。たまには思い知らせてやればいいのよ」  フン、と鼻を鳴らし、経理担当のデスクがある一角にチラッと目をやる。 「今日だって二人とも有給とってるしさ。こっちも忙しいんだから、たまには手助けしてくれても」 「仲村さん!」  先輩の言葉を遮ったのは、新山部長だった。 「来週あたまに知財管理のことで弁護士と打ち合わせだって言ったわよね。その資料はできてるの?」 「あー、いえ、まだ半分ほど残ってます」 「じゃあ早めに仕上げてちょうだい。チェックもしなきゃいけないんだから、ギリギリだと困るのよ。ああ、それからこの申請書の様式なんだけど……」  私にだけ聞こえるような小さなため息をついてから、仲村さんは席を立って部長の元へと向かっていく。その後ろ姿を少しの間見送ってから、私は自分の仕事に向き合うために、書類の山頂へと手を伸ばした。
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