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2:ローマで休日を(3)
東屋でのおやつ休憩の後、私は紫藤さんの案内を受けて、城内へと足を踏み入れた。
分厚い木製のフレンチドアがゆっくりと開かれたその先、そこに広がる光景に、私は今日二度目の感動を味わうことになった。
小さなフルール・ド・リスの描かれたベージュ色のタイル床や、漆喰とシンプルなデザインの装飾板で構成された腰壁、アンティークなステンドグラスをあしらった大きなアーチ窓に、ひと際目を引く黒鉄のシャンデリア。
座ることが躊躇われそうなベルベット張りの猫脚ソファも、複雑なデザインの透け細工が美しいローテーブルも、ここに配置された建材、調度品の何もかもが、現代のエンターテイメント目的で建てられたはずのこの城に何世紀もの歴史が刻まれているような、そういった演出をしてくれているのだ。
「すごい……。綺麗な内装ですね」
「ありがとうございます。オーナーには古臭いと不評だったのですが」
「でも、そのお陰ですごくリアルな感じがします。本物の西洋のお城に来たみたいな……」
きょろきょろと視線をあちこちに移動させながらそう答えると、紫藤さんはもう一度感謝の言葉を口にした。
「お部屋にご案内いたしましょう。夕食まではまだ時間がありますから、それまでごゆっくりと……」
「庭園はいかがでしたか、咲葵さん」
凛とした声が響いたその方向を振り返ると、ロビーの右手奥の部屋から都倉さんがこちらへ向かって来ているのが見えた。恐らく今まで厨房にいたのだろう、白いシェフコートを纏い、グレーのミドルエプロンを腰に巻いている。簡単に捲り上げた袖口から覗く、男性らしい筋張った手首や腕が非常にまぶしくて、私はちょっと目まいを起こしそうになった。
仕事着を着た男性は何割増しかでカッコ良く見えるものだと言うけれど、都倉さんも例に漏れることなくイケメン度が跳ね上がっている。元々の素材がいいものだからその相乗効果は計り知れないもので、何というか、まあ……とりあえず、この光景は目に焼き付けておくべきだと思った。
「気に入って頂けたでしょうか」
つい見とれて沈黙した私に、都倉さんがもう一度尋ねる。私はハッと我に返り、慌てて首を縦に何度も振ってみせた。
「あ、あと、スコーンも頂きました。都倉さんが作ったレシピなんですよね」
「ええ、そうですよ。お口に合いましたか?」
「とってもおいしかったです。……あ、それでですね、さっき紫藤さんからそのレシピを頂けると聞いたんですけど」
構わなかったでしょうか、という言葉を続けようとして、私は思わず口をつぐんだ。都倉さんが、驚いたように目を見張って私を見つめ返したからだ。
……って、この表情、さっきもどこかで見た気がする。
(あ……)
そうだ、さっき東屋でスコーンをほめた時の紫藤さんだ。都倉さんがレシピを作ったということにびっくりして聞き返した時、紫藤さんもこんな顔をしていた。
あの時はそれほど深く考えていなかったけれど、都倉さんまで同じような反応をするということは、私の受け答えに何かおかしなところがあると思った方がいいのかもしれない。
なんだろう。言葉遣いか、それとも発音が変なのか。
そう言えばさっきもスコーンの話題でこの現象が起きていたから、やっぱりスコーン絡みの内容に原因が……?
「ところで玲、仕込みの方はどうなっていますか」
「ああ……、そうだった。まだ最中だ」
絶妙なタイミングで尋ねた紫藤さんに、都倉さんはふと我に返ってそう答えた。
「では、私は厨房に戻ります。また後ほど」
都倉さんはそう言って私の肩をポンと叩くと、踵を返して奥へと引っ込んで行ってしまった。
気には、なる。なぜ私がスコーンのことを語ると、皆が……と言っても都倉さんと紫藤さんしかいないのだけれど、二人があんな表情になってしまうのか。
気になって仕方ない。でも私は私自身が、どうでもいい細かいことを気にしてくよくよするタイプだということを重々承知している。
せっかくの旅行気分に水を差したくないので、ここはあえて、理由を聞きたいという欲求をぐっと堪え、客室へ案内してくれるという紫藤さんの後ろに黙って付いて行くことにした。
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