2:ローマで休日を(5)

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2:ローマで休日を(5)

 ロビーや客室などはずいぶん凝った内装だったけれど、この食堂はそれに比べると簡素に思える。目立った調度品と言えば、グラス置き場として使用されているキャラメル色をしたアーチ型のキャビネットぐらいだろうか。  シンプルなダイニングテーブルと、それに合わせたダイニングチェア。背もたれと座面の張地に使われている織布は深いオレンジの単色で、こちらもまた豪華さとは縁遠い代物のように感じられる。 「余計なことを……」  彼女の同伴者だから私の分の料理もお願いね、と言いながら、私の向かいの椅子に腰掛けた奥平さん。  その言葉で状況の概要を察したらしい紫藤さんは、呆れたように呟いて額に手を当てた。先ほどの穏やかさからは想像がつかないほど表情は厳しいものに変化していき、そのオーラに圧倒された私の背筋は自然と、まっすぐに伸びたその形のまま固定されてしまった。 「あら、このルールはお客様に言っちゃいけなかったかしら。それはそれは、ごめんなさーい」  私だったらひれ伏しながら謝り倒すであろうこの状況下で、奥平さんはいたずらっぽく舌を出して誤魔化している。  そのお茶目さんな対応はちょっと悪手なのでは、と、非常にハラハラしながらも、私はただ二人のやり取りを眺めるしかできず、ひたすら視線だけをきょろきょろと動かしていた。 「もういい。君は席を外しなさい」 「今日は、”すべて玲の意志に沿うべし”じゃなかった?」  私からすればそれは、脈絡がなく会話の流れにそぐわない、不自然さが際立つ言葉だ。  だが紫藤さんはそこから何かしらの意味を汲み取ったらしく、怒りを帯びていた表情は驚きのそれにとって代わった。 「一人でテーブルに着くことは禁止。そんなバカげたルールを決めたのは玲ちゃんでしょう」 「それは、……」  言い返せないのか、言葉を探しているのか。紫藤さんはそれ以上は黙したまま、視線をわずかに下へとずらしていく。 「私はそのルールに従っているだけよ。それは、……紫藤さん、あなたが私に言いつけたのではなかった?」  奥平さんはその瞳に意味ありげな光を湛えながら、紫藤さんを視界にとらえてそう言った。 「とは言っても、ね。もし私以外に咲葵ちゃんにご同伴して下さる方がいるというのなら、私は席を譲らざるを得なくなりますけど」  紫藤さんは答えない。その寄せられた眉根から苦悩が感じられ、理解しがたいというよりも賛同しかねているような、そんな心境であるように見えた。 「さ、どうする? 黙っているだけじゃ、私は動かないわよ」  その言葉が最後の一押しになったのだろう。紫藤さんはがっくりと肩を落とし、深い深いため息をついた。  どうやらこの場は、奥平さんの言い分が通ることになりそうだ。 (えー、と……)  ここまで空気を読みつつ黙って二人の様子を観察していたけれど、さて、どうしよう。状況が何一つ分からない。  確実に分かったのは、第三者が口を挟むべきではない、というか挟む隙間など全くなかったのだけれど、他人が首を突っ込んでいい内容ではないだろうということ。そうなると、気になるところが一つ。  私、この場にいて良かったのだろうか。  紫藤さんは奥平さんに席を外すよう言っていたけれど、もしかして、それは私の方がすべきことだったんじゃ……。 「とにかく」  これ以上の沈黙は許さない、と言うかのように、奥平さんの凛とした声が響く。私は、離席する旨を伝えようと開きかけていた口を慌てて引き結んだ。 「私の代わりを連れて来て。そうしたらお望み通り、ここから立ち去ってあげるわ」  勝敗が決したとはいえ、空気の重さはそれほど変わらない。  何とも言えない重圧感に不安を抑えきれず、私が二人を交互に見比べていると、不意に紫藤さんと目が合った。 「あ、えー、……」 「申し訳ありません、お見苦しいところを」  何か言わなくては、その一心でただ口を開き、”言葉”とは言い難い謎の唸り声を上げただけの私に、紫藤さんは厳しい表情を保ったまま軽く頭を下げた。 「不愉快な思いをさせてしまったお詫びは、また何らかの形で必ずさせて頂きます」 「そんな、お詫びだなんて! 不愉快には思っていないですし、むしろ、お店にそんなルールがあったなんて知らなかった私の方こそ」  謝ろうとしたところで、紫藤さんは首を横に振った。 「咲葵さんは何も悪くありません。私の判断が甘かっただけのことです」  そう言って紫藤さんはチラリと奥平さんを睨……見やると、再びこちらに視線を戻した。 「すみません、少しお待ち頂けますか」 「え、あの……」 「五分ほどで終わらせます」  紫藤さんはそう言ってから、奥平さんの肩に手を置いた。奥平さんは先ほどと変わらない澄ました表情のまま、それでも肩に置かれた手の意味を理解して、優雅な所作で椅子から立ち上がる。  腕を引かれたり背中を押されたりすることもなく、食堂の外へ向かう紫藤さんを静かに追従するその姿は、サスペンスドラマのラストシーンで真相を暴かれ逮捕されたセレブ妻のようだ。  そんなことをぼんやり考えながら二人を見送る。  途中、笑顔で手を振ってくれた奥平さんに苦笑いと会釈を返してから、私はダイニングチェアに深く掛け直し、ほうっと一つ息をついた。
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