1:悪魔はプラダを着ているか(2)

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1:悪魔はプラダを着ているか(2)

 結局、昨日は予想していた通りのサービス残業をきっちりこなしたせいで、若干寝不足でふらつく足をひきずりながらこの通勤ラッシュに挑むはめになってしまった。  朝のさわやかな空気を目いっぱい吸い込んで深呼吸すれば、少しはリフレッシュできるのかもしれない。でも、こんなにたくさんの人に囲まれた中で、しかもその大半がイライラしているとなると、リフレッシュどころか自分にまでそのイライラが伝染してしまいそうだ。 「はあ……」  仕方なく私はスマートフォンの画面に目を落とし、電車を待つ時間をつぶすことにした。SNSをチェックし、面白そうな記事や共感できるつぶやきを見つけては「いいね」を押していく。半ば習慣化したその作業を繰り返しながら、私はぼんやりと母のことを考えていた。  父と私の接点が少なくなり始めたころ、母は父の話をよく聞かせてくれるようになった。父と出会った時のこと、初めてのデートで起きたハプニング、結婚式の感動エピソード、そしてお産に立ち会えなかったものの、生まれた私を初めて見た時に大号泣したこと。  たくさんの父を教えてもらい、その度に私は、薄らいでいきそうになる父の存在を鮮明な色合いに塗り替えていた。  きっと自分も寂しい思いをしていただろうに、父に対する愚痴もこぼさず、切ない表情を浮かべることもなく、本当に楽しそうに話してくれていた母。悲しさも侘しさもない、ただ楽しかったいい思い出として明朗な声で綴られる父の話は、もう母の口で語られることはなくなった今もはっきりと覚えている。  父が亡くなってから何年もたったある日、私は母から、治ることのない病気を抱えていることを、これ以上治療するつもりがないという意志とともに打ち明けられた。  母はずいぶんと前から私に何も言わず、たった一人で病気と闘っていたらしかった。私ににこにこと優しく笑みを向けるその裏側で、ひっそりと痛みや苦しみに耐え続けたに違いない母に、治すためにもっと頑張ろう、などとは言えなかった。  私は母の選択を受け入れ、最後の瞬間までそばに寄り添うことにした。これまでと変わらない暮らしの中に、ちょっとした贅沢や楽しみをエッセンスとして加え、母の笑顔を絶やさないようにと心を砕いた。先の短い人生ならば、少しでも太くしてあげたいと思ったのだ。  体に負担の大きい無理な治療を行わないこともあってか、母はともすれば健康体であると見紛うほどにはつらつとしており、それは医師から病状の説明――余命宣告を受けてなお、本当に病気なのかと疑いたくなるほどだった。  しかし、そこからは早かった。病はじわりじわりと年月をかけながらも間違いなく母の体を侵食していたようで、三年前の年明けすぐの頃、母は静かに旅立った。ここまで苦しみや痛みを感じずに最後を迎えられたのは幸いですよ、と医師は言っていた。
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