1:悪魔はプラダを着ているか(2)

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「いやいやいや、宗教の勧誘とかナンパじゃなくて! ちょっと話を聞いてもらいたいんですって」  慌てたようにそう言うと、その”誰か”は私の手をがっちりとつかんだ。すぐに大声を上げればきっと自由の身になったはずなんだけれど、咄嗟のことでそこまで気が回らず、そもそもそんな勇気を持ち合わせていたかどうか怪しいということもあって、私は立ち止まらざるを得なくなってしまった。 「あのですね、実は、おねえさんみたいな方にぜひおすすめしたいプランがあって」  行く手を阻むかのように私の前方に回り込みながら、その人はニコニコと話し始める。  就活生を彷彿とさせる無難なグレー無地のスーツを着込んではいるけれど、くせ毛なのかパーマなのかよく分からないふわふわした明るい茶髪やダルそうな身のこなしが、お堅い服装とちぐはぐな印象を与えている。どちらかと言うと、今どきの若者感を前面に押し出した、正に流行全部乗せ!な服の方がバッチリ似合いそうな、一言で言ってしまえば軽そうなヤツ、という感じだ。  私は勢いよく首を横に振りながら、ついでにつかまれたままの手も振りほどいた。 「な、何だかよく分からないけど、私に必要なプランなら自分で探して見つけます。だからそれは別の人におすすめしてあげて下さい」  予定外とは言え、せっかく午前中に休みをもらったのだ。よく分からないキャッチセールスにつかまって時間を無駄にするなんて、すごくもったいない。そう思い、完全拒絶の姿勢を貫く構えでまくしたてるように答えると、立ちはだかる彼を避けてこの場を離れようとした。 「話を聞くだけでも構わないんです。自分、二日前からここで粘ってるんですけど誰も捕まらなくって」 「私にはそんなこと関係ないですから」 「実はこうやって声掛けたこと自体、初めてなんすよ。だからホント、お願いします」  悲壮感漂うその言葉。  私を自分のペースに引き込もうとする作戦であるという可能性に気付かなかったわけじゃない。たぶん、普段の私ならそれ以上何か余計なことを聞いてしまわないように走って逃げていたと思う。  それなのに。 「知らない人に声掛けるのって、仕事とはいえ難しいんですよねぇ。なかなか踏ん切りがつけられなかったんですけど、今やっと自分の殻を破れたと言うか」  もしそれが本当だとしたら、なんていう考えが浮かんでしまった。そうしたら芋づる式に、ちょっとかわいそうに思う気持ちが湧きあがってしまって、私はつい足を止めてしまった。 「や、でも……そうっすよね、おねえさんには関係ない話ですもんね。忙しいのに足止めさせちゃってすみません、頑張って他の人に当たります」 「……五分」 「えっ」 「五分くらいなら、話を聞いてもいいですけど……」 「ほ、ホントっすか!?」  コクリと遠慮がちにうなずいた私に、彼は元々下がり気味だったまなじりを更に下げ、顔が溶けたんじゃないかと思わせるような笑顔を見せた。
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