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Ⅳ. 真実
マリアが出かけた午後、二人の刑事が訪れた。
蓮に関することだろうと、直人は察した。
家に招き入れた後、若い刑事が鋭い口調で言った。
「あんた、もう終わりだよ。覚悟しろよ、吉沢」
その言い方に腹を立て、反論する。
「何を言ってるんですか? 私は三上ですよ?」
一方、年配の刑事は冷静だった。
「奥さんは不在ですか…?」
「外出してます。午後には戻るかと…」
「そうですか。では、奥さんとはまたの機会に。今日はご報告に来たんです。フランス警察から、日本人の遺体が見つかったと連絡がありました」
「ニュースで見ました。それ、吉沢蓮だったんですか?」
直人の質問に、刑事たちは互いに目配せした。
年配の刑事が話を続ける。
「最初はそう思われていましたが、調べたところ、遺体は三上直人さんで、首を絞めて殺害されていました」
…え?
その答えに耳を疑う。
「遺体が三上…? でも、三上は私です。何かの間違いでは?」
刑事はそれを無視した。
「遺体があったのはかなり山奥で…逃げ出した犬が偶然掘り起こし、それを飼い主が発見したんです。こんな偶然がなければ、発見は遅れて腐敗が進んでしまい、身元の特定は難しかったでしょう。一緒に埋められていた所持品は吉沢さんのものでした」
ますます訳がわからない。
蓮の所持品が見つかったなら、死んだのも蓮では?
「じゃあ、今ここにいる私は誰なんですか…?」
若い刑事が即座に突き放すように答えた。
「おまえは吉沢蓮だ」
吉沢蓮だと…?
誰もが俺を三上直人だと認めているのに?
「我々も最初は戸惑いました。三上直人として帰国したやつは誰なんだって。おまえは三上さんをレンタカーで連れ出して殺害し、遺体を山に埋めた。その後、顔を整形して三上さんになりすましたんだ」
「…顔を変えたなんて、まさか…」
そんな大それた話…信じられるものか。
「吉沢さんはフランス出張の後の2週間、長期休暇を取っていました。その間、どこにいたんでしょう? 整形手術を受けたんじゃありませんか? 整形を終えてすぐに帰国するはずが、事故に巻き込まれて記憶を失った…あくまでも可能性ですが」
直人は自分の顔を無意識に触った。
「三上さんは投資で成功し、財産もありました。地位も財産もあり…聞き込みから得た情報では結婚相手も奪われたらしいですね。あなたは三上さんになりたかったんですよ」
俺は吉沢蓮で…三上直人になりたくて、顔を変えた…?
衝撃を受けながらも、その説明が妙に納得できた。
遺体となった男が本当の直人で、今の自分が蓮なら…。
すべてのつじつまが合う。
***
マリアが帰宅したのは、刑事たちが去った後だった。
「いろいろ買い込んじゃった。急いであなたの好きな煮物を作るわね」
微笑みを浮かべて、キッチンに入る。
「正直に聞かせてくれ。俺は誰だ? 声や仕草を見抜いていた君はわかっていたんだろ? 肉じゃがが好きで、フランス語を一緒に勉強したのは…吉沢蓮なのか?」
「思い出したの?」と一瞬マリアは喜びの表情を浮かべたが。
刑事が来て聞いた話を伝えると、肩を落として白状した。
「私、あなたが吉沢蓮だって気づいてた。だって、私たち二人で計画したんだもの」
「計画…?」
二人の計画とはどういうことなんだ?
マリアは少しずつ説明した。
結婚後、直人が暴力を振るうようになり、蓮に相談したのだと。
蓮は直人に説教したが、蓮と会ったことが逆に直人を激怒させた。
暴力はさらにエスカレート、二人は恐ろしい計画を立てることにしたのだ。
フランス出張が決まった時、蓮とマリアは計画の実行を決めた。
蓮が直人を誘い出し、殺害する。
闇医者に金を払い、顔を整形して直人になりすませば―。
新しい人生が待っているはずだった。
「じゃあ、おなかの子は…?」という質問に、マリアは静かに答えた。
「直人さんとの子よ。あなたの子じゃない。でも、あなたはそれでも構わないって言ってくれた。二人で育てようって」
マリアは蓮を抱きしめ、「蓮、今までごめんなさい」と優しく手を握った。
髪が鼻に触れ、いつもとは違う甘い香りを感じる。
「香水をつけてるの?」
「ええ、ディオールの香水。今日は記念日だからお祝いよ。あなたの…蓮の誕生日なの」
突然、激しい頭痛が襲い、耐えきれずしゃがみこんだ。
その香りを知っていた。
俺がマリアにプレゼントしたことがあったのだ。
真実が呼び覚まされた時、男はもはや直人ではなかった。
記憶と共に厳しい現実が蓮に襲いかかってきた。
「あの時も君は言った。子どもと三人でどこか遠くへ行こうって…出張に行く前」
「蓮?」と、不安げに見つめるマリア。
「ええ、あなたも賛成してたわ」
「俺が望んだのは、ただ君と子どもと平穏な生活を送ること。だけど君はそれじゃ足りないって、俺が三上直人にならなきゃならないって言ったんだ…」
蓮は声を震わせていた。
今ならわかる、その計画がどれほど愚かだということを。
「記憶、戻ったのね?」
マリアは意外にも冷静で、表情からは何の感情も読み取れなかった。
「ああ。君は資産家のあいつの金が欲しかったんだよな。俺は借金もある貧乏人。直人になりすます計画は、マリア、君が企てたんだ。俺はそれを実行してしまった。どうかしてた…君を愛してたから」
マリアの目は揺らぎ、優しくおなかをさする。
「直人さんはひどい人だった。暴力も振るうし、浮気もしてたし、結婚してすぐ後悔した。蓮は背格好が似ていて…あなたが直人さんになれば、完璧だったのよ。死体が見つからなきゃ…。だって子どもがいるのよ…お金は必要でしょ?」
恐ろしく強欲な女。
俺と直人を天秤にかけて、贅沢ができそうな直人を選んだくせに。
暴力に直面し、救いを求めてきた。
俺は利用されているのを知りながら―。
それでも、マリアから離れることができなかった。
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