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1か月後、私は喫茶店で待ち合わせていた。
「ジゼル」
カウンター奥から振り返り、手招きする7つ歳上の幼なじみの元へと向かう。
「お待たせしてしまい申し訳ございません」
「いや。俺も今来たところだ」
「その節は大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます」
「大したことなど何もしてないさ」
私が席につくなり、幼なじみ――筆頭公爵家の長男アルバートは喉を鳴らし、忍び笑いを始めた。
「何か?」
「いや……貴族令嬢の人間がそこまで髪を短くするなど前例がない。ご両親や謝罪した国王夫妻は、ジゼルのその姿を見てさぞ肝を冷やしたことだろうと思ってな」
そう言って、隣の席についた私の頭をアルバートが手を伸ばして撫でる。
「いくら悲しみを表現する為とはいえ、ここまで短くする必要はなかったんじゃないか?これはこれで似合ってるけどな」
撫でると言っても、アルバートのそれはまるで幼子か犬の頭でも撫でつけるような手つきで、意中の女性の髪に触れるといった仕草ではなかった。
私の髪の長さは肩よりも短く、外で走り回る少年のような髪型だ。自分で髪を切った後でスージーに整えてもらった。今まで着ていた華やかな色合いのドレスも似合わないだろうと、なるべくシンプルで目立たない色のドレスを着ている。
「どこでどなたが見ているとも限りません。そういうあらぬ誤解を受ける軽はずみな行為は、次期宰相になられる御方として如何なものでしょう」
微笑みながら私はそっと手をはらった。アルバートは肩をすくめ、お気に入りのミルクティーを口にした。
レオ殿下から婚約破棄を言い渡された後、私は自分の両親に事の次第を報告した。
すっかり短くなった髪の姿で。
――お父様、お母様……私はこの先は1人で生きていきたく存じます。つきましてはお願いがございます。多額の慰謝料を国王陛下から賜りたく……どうか不束な娘にお力をお貸し下さいませ。
お妃教育に励むようになってからというもの、どんな厳しい訓練にも耐えてきた。そんな涙1つ誰にも見せなかった自慢の娘が悲しみの果てに髪を切り、涙混じりに今回の自らの不遇を訴えた。元々沸々と煮えたぎりつつあった王家に対する両親の不信の怒りは、ここでとうとう頂点に達した。
――おのれ、王太子め。我が愛娘に対する無礼の数々、絶対に許さぬっ。
筆頭公爵家と我が公爵家の外交力と財力の後ろ盾により王家は成り立っているといっても過言ではない。片翼を担っていた他の貴族達を束ねる立場にある公爵家に牙を向けられるということは、王家からしてみれば国家転覆の恐れもある死活問題だ。
父親は国王陛下に。
母親は王妃様に。
あくまでも品格は保ったまま、レオ殿下と私の婚約破棄からの修復を望む2人の声を、両親はそれぞれ一刀両断した。
――お父様、これを。アルバート様より預かったものでございます。
その際に決定打となったのは、アルバートにより作成されたレオ殿下の素行調査書だ。前もってアルバートからそれを受け取っていた私は、それを父親に渡した。
レオ殿下は男爵令嬢であるミランダの他にも多くの貴族令嬢達と通じており、関係があまり芳しくない他国の姫君とまで婚姻の約束を交わすという、外交上の問題にも発展しかねない行為にも及んでいた。更にはミランダの父親に唆され、王国の運営資金まで使い込んでいた。
国王夫妻は茫然自失のまま、正式にレオ殿下と私の婚約破棄を受け入れた。いくら息子と言えど、到底庇い立て出来ると思えなかったのだろう。その後、父親は私への多額の慰謝料を王家側に要求し、国王は渋々了解した。
こうしてアルバートが示したレオ殿下の不貞及び不正の証拠の数々は白日の下に晒され、レオ殿下は現在軟禁状態にある。
「弟君から聞いたが、本当に家を出るのか?」
「えぇ。大きな山を1つ買いましたので。そこに屋敷を建てて住もうかと思っております」
「……山?山を買ったのか?」
「えぇ、買いましたが何か?」
私に質問をしながらミルクティーを飲んでいたアルバートが私の答えを聞いて驚き、咽こむ姿を見せた。
――お嬢様。これからどうなさるおつもりで?
――そうね。とりあえず、山を1つ買うわ。
婚約破棄が正式に成立した後に聞いてきたスージーも、今のアルバートと同じように驚いていた。
その時のことを思い出しながら、ジゼルはカモミールティーの華やいだ香りを胸いっぱい吸いこみ、目尻を細めた。
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