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散歩をしていたら、前の方から目玉を掌に乗せた人が歩いてきた。
「ぎゃあ」
思わず悲鳴を上げてしまったが、その人はえっなんですか、とでも言うかのように非難の目でこちらを見つめている。
まるで失礼だなぁとでも思っているかのように。
「何でそんなもの持ってるんですか、猟奇的殺人犯か何かなんですか、通報しますよ」
するとその人はあっ、と自分の手を見つめて乗せていた目玉をつんつん、と指先で突く…目というのは存外柔らかいものであると聞いたことがあったが、どうやら石のようにカチコチだった。
「これは人形の目玉なんですよ」
「人形の」
「人形といったって、ぬいぐるみじゃあなくて…ドール、あの落としたら壊れる人間の形をした…」
頭の中で真っ先に思いついたのはおどろおどろしいフランス人形。
その次におかっぱの日本人形ときて、最後は騒がしそうな雑貨屋に置いてある本の表紙のような…美しい人形。
なるほど、ああいったものかしらと納得しかけたところで、納得できない事実を指摘する。
「何でそんなもの持って歩いてるんですか、不審者ですよあなた」
「確かに」
「あなた以外の人間が目玉を持って、歩いていたらどう思うんです」
「通報しちゃうかも」
「でしょう」
しょんぼり、と落ち込んでしまったその人はどうやら考えずとも何か訳ありだという事が伝わってきた。
赤子を亡くした人の為に、そのままの形を模したドールがあると聞いたことがある。
もしかしたらそういう悲しい心の傷を抱えた人間なのかもしれない。
「でも、外の世界を見せたくって」
「目玉に?」
「うちのドールは紫外線を浴びると劣化していくんです。真っ白な肌がどんどん黄色くなっていって…そういう素材なんですよ」
「へえ、黄色に」
「外には出せないけど、外の世界は見せてあげたいんです、親心ってやつですよ」
「じゃあ家で待ってる人形は目玉がないままなの」
「そうですよ」
目玉のない人形を考えてゾッとした。
けれどもわざわざこんなことをしてまでも、目玉だけでも外に連れ出してもらえるほどに大事にされている人形はきっと幸せ者だ。
それにしたって肌が黄色くなる、とは。
想像の中の真っ白な人形が持ち出され、外の光を浴びてどんどん黄色になっていくことを考えてみると…なんだか可哀想にも思えてきた。
けれどもそれは不審者になっていい理由にはならない。
「じゃあ目玉だってわからないように、そっと包み込んで指の隙間から外を見せてあげればいい。その…なんていう、まるで差し出すかのような掌に置かれているのは怖い」
「だってこの目玉遊園地のチケットが二枚は買える値段なんですよ、傷つけたら怖いじゃないですか」
「そんなにするの、これ」
「ドールって高いんですよ」
へえ、と興味はないけど返事はしておく。
「けれど君、こんな日中からこんなことしていたらいつか通報されるよ」
「そうですね、もうやめます。今日が初めてなので」
これほど自分が見つけてよかった、と思うのは駅で座り込んでいる熱中症の人を介抱してお礼を言われた時以来だ。
じゃあもう目玉は家に置いていくんだよ、と手を振ってさようならをした。
そして次の日の夕方、学校から帰ってきた弟が興奮気味に話してきたのは不気味な人形を連れた妖怪の話。
違う、そうじゃない。
本体ごと連れていけばいいとか、そういう話じゃなかったんだけどな。
でもきっとそのドールは幸せ者だろうから。
昨日の出来事はそっと喉の奥にしまっておいてあげることにした。
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