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夏休みになると、祖父母の住む家に遊びに行くことが多かった。山の麓にある小さな平屋建ての家は、大工である祖父が自ら設計し建てた家だと聞いている。
父の車で山合いの家に辿り着くと、花柄の洒落たワンピース姿の祖母が「よう来たねえ」と、目尻を下げながら私たちを出迎えてくれた。それに遅れるようにして、家の奥からランニングシャツと短めのズボンを履いた祖父が顔を出した。口下手な人で、私たち孫を見ると相好を崩してはくれるけれど、祖母のようにあれこれと話しかけてくれることはないのだった。
「お義父さん、お久しぶりです。こちらよかったらお土産です、どうですか腰の調子は。お仕事のほうは──」
玄関口で父が土産の入った紙袋を携えて、家に上がっていく。祖父はそんな父に「ええ、ええ、そんなに気を遣わんでも構わんですけん」と困った風に笑いながら、奥へと通した。それに続くようにして、孫である私と妹、弟、母が居間に上がった。
玄関のすぐ右手が居室で、その奥が居間となっており、居間の奥にはかつて子供部屋だった倉庫がある。居間と廊下を挟んだ向こうに、祖父母の寝室。玄関から左手のところに台所があり、寝室との間に風呂場がある。家の奥には庭があるのだが、隣家との諍いがあったらしく、屋根と壁を後付で作って外部からの干渉を退けている。
隣家との諍いと言っても、後から越して来た人が祖父母の家の土地を欲しがっているようで、時々嫌味を言ってくるらしい。田舎ではよくあることなのだろうか。当時の私には、その辺りの詳細や経緯は話してもらえなかったから、想像に過ぎないのだけれど。
りん、りん。
居間の奥に据えられた仏壇のお鈴が鳴らされて、祖父母と両親が神妙な顔で手を合わせている。私は長女であるから、大人っぽく手を合わせてはいるけれど、頭の中は今しがた仏壇にお供えした菓子箱の中身を想像していた。地元で有名な菓子屋のもので、その中のわらび餅が私の好物なのだった。弟が戯れに私の背中を蹴る。むっとして振り返ると、妹も御先祖様への挨拶など退屈だとばかりに両足を投げ出して座っていた。それもそうだ、私も妹も小学生で、弟はまだ幼稚園児なのだから。
「疲れたろう、今、冷たいもん持ってくるけん」
気難しい空気はそこで霧散する。私たちは飛び跳ねるように祖母の後に続き、母も世話の焼ける弟の背を追いかけた。
その当時、山からの風は天然のクーラーのようで、扇風機さえあれば真夏でも充分に過ごせた。特に台所は涼しく、床はひんやりとしていて、私たちはことあるごとにそこに寄っては、冷たい麦茶やジュース、時にはお菓子をおねだりした。
去年もその前も、それよりもずっと前からある冷蔵庫から出されるジュースやアイスは、格別に美味しかった。
子供用のコップに勢い良く氷を入れて、飛び跳ねる勢いでカルピスが注がれていく。それから、冷たくした水をかけていく様を、子供である私たちは、わくわくしながら眺めた。かろん、かろんと、氷が揺れる音の涼しさにじっと耳を傾けて。
「出かけるぞ」
祖父の声に、私たちは飛びはねながら思い思いの荷物を持って家を飛び出した。私も妹も、山には不釣り合いのワンピースにサンダル姿で、お揃いの麦わら帽子。首にはビーズのネックレス。弟はスコップを振り回して勇み良い。慌てて追いかけてくるのは母だ。手には水筒と弁当を持っている。
裏山に畑があり、祖父は毎朝のようにそこへ出かける。夏休みの間、それに同行するのが孫の私たちで、そのお守役が母なのだ。父は数日しか滞在できず、今はひとり会社に行っている。そういうものだから、祖母は家でひとり、私たちの帰りを待っていてくれるのだ。
山を登ると言っても、整備された道を辿っていくのでそんなに難しいものではない。ワンピース姿の私たちを咎めるほどの険しい山ではないのだ。ほんの十分程度上がったところで、少しだけ切り開かれた場所にたどり着いた。小さな山小屋の赤い屋根が見える。祖父の畑だ。
木々の合間から海が見える、見晴らしの良い場所には、簡易的なキッチンのついた小さな小屋が建っている。これもまた、祖父の建てたものだ。畑仕事の合間に休めるらしい。
中には家から運んだという収納式の机があり、いくつか椅子もあって、さながら秘密基地のようだった。
母も小さい頃、この小屋で畑仕事を手伝っていたようだ。とは言っても、家庭菜園の規模を少し広めただけで、農家というわけでもない。
私たちは、祖父が用意してくれたお絵かき帳に落書きをしたり、祖父が野菜を収穫する姿を眺めて過ごした。
「もいでみるか」
そう言われて、おそるおそるもぎ取ったトマトは、形は歪だったけれど、とても良い匂いがした。
「いいトマトは、ええ匂いがするじゃろ」
祖父は、目を細めて私の頭を撫でた。鼻先が捉えたその匂いは、今でも新鮮なトマトの判断基準として記憶に残っている。
子供のころの記憶はあまりにもきれいで、宝物のようでもある。実際はもっと退屈か、あるいはやんちゃであったかもしれないが、年月と共にそういった余計な記憶はこ削ぎ落とされて、まんまるになってしまっている。
当時の記憶は、子供だった私にしかわからないのだ。だから今の私には、その上澄みを捉えることしかできない。
八月七日の七夕まつりには、着なれない浴衣を着て祖父母と共に海沿いまで出掛けていった。カラカラと鳴る下駄や、カラフルな帯に飛び跳ねるのは最初だけで、花火会場である浜辺につく頃には泣きべそをかいている。
鼻緒が指の付け根に食い込んで痛いのだ。
涙目で浜辺の階段に座りこんでしまった私たちに、祖父が屋台のかき氷を持って来てくれた。
甘ったるいシロップに笑みを零していれば、大きな音を立てて花火が打ち上がる。色とりどりの花火は、小さな町の小さな海辺に大輪の花を咲かせる。ドンッと大きく咲いて、はらはらと消えていく花火を見上げている私の胸は、小さく痛む。
もうじき、祖父母の家から帰ってしまうことを思い浮かべてしまうからだ。
夏休みなどあっという間だ。
野山を駆けずり回り虫取りに興じ、海で泳いで貝を拾っていれば、父が車で迎えにやって来る。その日が来ると、無性に胸が苦しくなって、切なくなって、私は口数が少なくなってしまう。
今日で最後だからと、父が買ってきた牛肉を焼いて食べたけれど、私はあまり食べることができなかった。妹や弟は無邪気に食べて笑って、明日もまだここで遊べると思っているようだったけれど、私は知っている。
この後車に乗って、帰るのだ。
「お世話になりました、お義父さんたちもお元気で。身体にはどうぞ気を付けて下さい」
玄関に寄せた車に乗り込みながら、父が祖父母に礼を述べる姿を眺める。
山を囲む空は暗く、深く、私たちを覆うように星空が瞬いていた。濃い草木の匂いを吸い込むと、より一層離れがたくなるから、狭い車内に身体を押し込んだ。
「ではまた、次は正月に来ますので」
そんな言葉を、運転席から放つ父に、祖父母は玄関前に揃って出てきて小さく頭を下げた。そうして私たちの車が遠ざかっていくのを、いつまでもいつまでも手を振って見送ってくれる。
私はお気に入りのブランケットを抱き寄せて、滲むような寂しさを堪えた。それは、日常とは違った自由があの場所にあったからなのか、祖父母の惜しみない優しさに浸っていたからなのか。
あるいは、両方なのだろう。
祖父母は、数年前に他界した。あの家にはもう誰も住んでいない。取り壊す予定は未だ無いらしいけれど、いずれは思い出と一緒に消えていくのだろう。山の中にあった小屋も、祖父母と共に過ごしたあの一瞬一瞬も、忘れ去られてしまうのかもしれない。
そう思うと、少しでも覚えていることを書き留めたくて、私はこうして文字として残せないかと奮闘している。結果として、あのときに感じた鮮烈な思い出を読み取ることに失敗はしているけれど、それでも、その一欠片くらいは残せているのではないだろうか。
そうであるならと、私は願う。
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