下山

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人生百年時代。  そう言われてみると、私はいま五十歳で山の頂上にいるところでございますですか?  ふん、まったく良いことのない登山道でしたよ。  チビ・デブ・ハゲの職歴なしニート&子供部屋おじさんにして真性童貞……失うばかりで何も得ることのない前半生でございますよ。  普通の男ですと五十ともなれば会社や自営業で責任ある立場なのに、私ときたら身一つのニート。  私生活でも大概の同級生は結婚して、大きな子どもがいて、幸せな家庭を築いているのでございますよ。  それに比べて私は真性童貞って!もうこんなことになるのなら、どっかの仏教寺院で出家でもしていたらよかったですよ。  これから現状の改善が見込めないとなると、人生の下山は厳しいものになりますですよ。  両親も七十後半でございますし、介護問題とかね、私まだ炊事洗濯なんかやったことありませんですからね。  親が死ぬと親の年金で食べさせてもらってる私は、いったいどうやって生活したらいいんでしょうか?  暗澹たる、人生という山の下山でございますですねえ……。  もともと奈良の三輪山みたいに、山は神様だったりしますし、人は死んだら山に帰るといわれていたりしますですからね。  日暮れて道遠し。  下山には、その言葉がぴったりでございますですよ。  私も小学校時代など、地元の低山に耐寒訓練と称して登らされた経験があるのですが、大体転ぶのは下山時だったりしましたですからね。  安全な登山道を行くといっても、登山時には気も張っていて休憩しつつ安全に山頂にたどり着くのですが、下山時は油断してさっさと山を下りて家に帰りたい、なんて思ってしまうもの。  そうしたら久々の運動で「足が棒」状態になっているわが身ですから、坂を下りるごとに転んでしまうのは自明の理でございましたね。  人生におきましても、誰しも五十になりましたら心身ともに衰えてきまして、癌やら糖尿病、鬱など病気にかかるものでございますね。  人生の下山も油断することなく、心と身体をいたわらなければ、転びまくるってことなのでしょう。  私ですか?  私は五十年の前半生におきまして、とにかく努力や精進を怠りまくり、ノーストレスの毎日を送ってまいりましたので、肥満体ではございますが、いたって健康体でフレッシュでございますですね、はい。  人の寿命は長短ありますけど、登山の時期に高く高く登ってしまった人ほど、下山時の危険のリスクが高くなると私は思うのです。  またその下山のリスクを楽しんでしまうところが、立派な人の特徴っちゃあ特徴なんですけどね。  私にいわせれば、ただのドMですけどね。  人は死ねば、お金や名誉をもってあの世のには行けないですから。  結局身一つで、昔の人にならって言えば、山に帰っていかなければならないと。  私の持っているものといえば、マンガやアニメのブルーレイ、美少女フィギュアくらいのものですけど、高い山に登った方々ならば、莫大な遺産だったり、地位や名誉がさぞかし手放すのが惜しいことでございましょうね。  私の下山後は、波風ひとつ起こらないでしょうけど、高い山に登った方々が山に帰られた後は、ご遺族が遺産をめぐって相続でもめたり、なんなら殺し合いまでに発展することもあるのでございます。  人生の山登りも、ほどほどがいいってことかもしれませんね。  中には「バリ」なんていうバリエーション登山の略で、登山道を登らず、道なき道をコンパス頼みに登る猛者もおられるそうですが、さしずめ人の世に例えると革命家とか、前衛芸術家みたいなものでしょうか。  我に七難八苦を与えたまえ。  山中鹿之助のような人生という名の登山を、宿命として喜んで受け入れたい人もいるということです。  やっぱり、ドMではないですか!  私ならロープウェイで山上まで登り、下山もロープウェイで済ませたいところでございますですね。  山頂の景色を、文明の利器に頼ってでも楽しむというのも、これ登山の一形態ですからね。  最初に人生百年時代、と申しましたものの、そもそも人の寿命もそれぞれ違うのであって、無事登山と下山を成し遂げる人もいれば、事故や病気、自殺などで中途に斃れる人も多いわけですよ。  そう考えますと、自分自身が今目の前にある登山、あるいは下山の風景を愛でることが大事なのではないでしょうか。  ……というわけで、私はこれから特大ピザと2ℓコーラを食べつつ、マンガを読んで人生の一瞬を謳歌いたしますですよ!  なんだかんだいって、人生むずかしいこと考えず、楽しんだ者勝ちでございますですからねー。                   終
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