ep1.猫を被っていた桐生課長

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28歳になると数少ない友人たちが次々と結婚していく。 それこそ久しぶりの連絡は全て結婚の報告と言っても過言ではない。『久しぶり、元気にしてる?』から始まる文が定型文に見えだす程。 30歳までには子どもを、と思う心理が働くのか。結婚した子達は悉くSNSが華やかな結婚写真になり、半年後には性別ケーキなるものの動画が上げられる。 そんな友人たちを見て、焦ってはいなかったし、妬んでもいなかった。ただみんな幸せそうだなぁと羨ましく思うぐらい。昔から他人に興味が無かった自分は、誰かに一生懸命になれる事が羨ましかった。 そうしてもうすぐ29歳を迎える時。親しい友人が結婚をする。いよいよ自分も頑張らないといけないのか。そう思うきっかけになった。 マッチングアプリなる物を勧められてやってみたけど、とにかくメッセージのやり取りが面倒臭かった。 いいなと思った人にハートを送って反応を待つか、もしくは送られてきたハートに反応を返す。そうしてスタートするやり取り。そもそもプロフィールを入力するのも、顔写真を載せることも抵抗があった。 けれどみんながやっているから。そう言い聞かせて一生懸命普通に馴染もうとする。結果、自分には向いていない。今回のことで良く分かった。 そもそも条件のように提示されるプロフィールの項目が嫌だったし、書いてあることは当然許容したという前提で、マッチングしたんだという風潮も嫌だった。話してみたいだけでは儘ならない出会い。 そうして大抵三回目に告白される。三回目に告白しないといけない呪いがあるのだろうか。 合わせてみようと思ったけどやっぱり理解できなかった。 「え、あ。嘘、スマホがない……!」 そうして駅に着いてからスマホが無いことに気が付く。 昼間の事と言い、今日はとことんついてない。案外昼の事を引きずっていて気がそぞろだったのか。否、ただのうっかりだと言い聞かせた。 財布ならまだしも、このご時世スマホは無いと困る。また10分掛けて会社に戻るのも面倒だけれど致し方ない。 そうして戻った先でまだ人の気配があったものだから、何も考えず『お疲れ様です』と言いながら扉を開けようとした。その時。 「桐生さんが好きなんです!」 「…………」 今まさに開けようとしていた手を思わず止めた。 3㎝程開いてしまっている。どうしよう。これを閉めたところで音が鳴ってしまわないか。いや、ゆっくり閉めたらいけるのでは。そうは思うももし万が一音が鳴ってこの気まずい中顔を出すことになってみろ。想像しただけで胃が軋んだ。 「気持ちはありがたいけど……」 申し訳なさそうに口を開く男は自分の上司でもある。と言っても年は然程変わらないのだけれど。男と女という事を差し引いたって、一歳差でこんなにも違うのか。出来がそもそも違う。 眉目秀麗で優しくて、気も効いて、仕事もできる。 桐生遥斗。26歳という若さで係長に就任し、30歳になった今、課長へと昇進した。驚異の若さでその座を担う男は、色んな意味でこの部署の中心的存在だ。 今日も顔が良いなぁなんて、かくいう自分も桐生課長のご尊顔にはいつも大変お世話になっている。 芸能人と言っても過言ではない程、その顔は整っており、イケメンだからと言って鼻にかける性格でもない。テレビならまだしも、仕事をしながらあんなイケメンを拝めるなんてありがたい話だ。仕事の効率も上がるから、全国の企業は是非イケメンを取り入れるべきだ。 自分みたいにイケメンを楽しむ人間と、こうして恋をしてしまう人間と、社内は半々に別れた。そりゃあこれだけ条件が揃っている良物件は独身女性が黙ってないだろう。かくいう自分も独身女性という事は置いておいて。 「どうしてですか? 桐生さんお付き合いしてる人いないですよね……!?」 お付き合いしている人がいないことと、お付き合いすることは別な気がするのだけれど、可愛い人には関係ないのか。 篠宮さん、案外肉食系だったのかと感心した。篠宮愛理。部署一番と言っていい程可愛い人で、誘い受け上手。ついでに仕事は可も不可もなく。桐生課長のガチ恋勢とは度々衝突しているイメージ。 前々からとても分かりやすい程、桐生課長にアプローチしていた。てっきりもうずっと前に告白をしていると思っていたけど、まさかその現場に立ち会う事になるなんて。 「それなら私と付き合っても……!」 「……。なんで?」 「え?」 (え?) 篠宮さんの声と自分の心の声が重なった。聞こえたそれはいつもの桐生課長の声とは思えない程落とされていて、思わず開いた隙間から覗いて確認する始末。 中には桐生課長と篠宮さんの二人で、やっぱりあの『なんで?』は桐生課長が言ったもので間違いない。 そうして自分は目と耳の両方を疑う現場に立ち合うことになる。 「俺に相手がいないとして、どうして君とつき合う話になるのか分からないんだけど」 「そ、それは……っ」 いつもの口調といつもの笑顔な筈なのに、物凄く圧を感じるのは自分だけじゃない。篠宮さんも感じているようでしどろもどろになっているではないか。
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