厄介事

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厄介事

下々(しもじも)の間で噂になっておる。早急に確認して参れ』 偉い人間はその一言で済ませるが、それを命じられた方はたまったものではない。 相手は上士(じょうし)で彼は徒士(かち)だ。その身分の差は両者の間に越えられない境界線をしいていた。 舌打ちしたくなる気持ちを堪えて、彼は顔を下げたままでその場をやり過ごした。 (ちまた)での町民の噂がお(かみ)の耳にも届いてしまったようだ。 《神隠し》。 何の前触れもなく、何も残さず、子どもが忽然(こつぜん)と消える。 それは遊びに出た子どもだけでなく、家にいたはずの子どもとて同様だ。 消えた子供の家柄や状況は様々で、共通しているのは五つまでの幼子が主だ。故に《神隠し》などと言われているのだろう。 彼―川端勘左衛門(かんざえもん)の主家である畠山(はたけやま)の家にも三歳になったばかりの桔梗丸(ききょうまる)様がいらっしゃる。畠山様も気が気でないのだろう。 “俺にどうしろと()うのだ?《神隠し》などという分野は坊主や陰陽師の仕事だろうに…” 言葉にできない不満を腹の中にしまったまま、勘左衛門は畠山家の門を出て通りの人波に混ざった。 足は重い。 どこの誰か知らんが、この厄介事を彼に押し付けるように言ったものがいるらしい。 おそらく、勘左衛門を妬んでいる者だろう。 勘左衛門は若く、身分こそ低いが、剣の腕は上から一目置かれる程の腕前だった。 通う道場でも彼の札は師範代の列に並んでいる。道場主の佐々木殿からの覚えも良い。他道場と試合となれば真っ先に名前が上がるほどだ。 『勘左衛門さえなければ…』と恨み(ねた)む声は呪詛(じゅそ)のように彼に届いていた。 「…さて…どうしたものか…」 現状、期待されているのか、彼の失脚を狙っているのか真相はわからない。 ただ、この状況が良いものでないことは理解していた。 うんざりした気持ちを抱えたまま、勘左衛門は天秤棒(てんびんぼう)を担いだ魚屋から(あゆ)を買ってボロい長屋に帰った。
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