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「探し物はこれですかな?」
突然、暗闇から老人の声がした。
しゃがれた男の声に驚いて顔を上げると、勘左衛門の視線の先に、両手で捧げるように刀を持つ僧侶の姿があった。
人がいたのか?それより、いつの間に刀を奪われたのだろうか?
「いけませんなぁ…御仏の御前で、殺生をなさるおつもりですか?」
本堂に響くしゃがれた声はもっともらしく勘左衛門に説教した。ズルズルと布を引き摺る音を立てながら、声の主は勘左衛門との距離を縮めた。
装いに騙されそうになるが、眼の前の老人は明らかに僧侶などではない。その顔は人と名乗るには異様だった。
鼻面の長い顔。上唇から突き出した異様に長い前歯。顔の中心から離れた小さな眼は左右に別れ、瞳の奥がほの暗く輝いている。ヒクヒクと忙しなく動く口元は鼠のそれに似ていた。
先程の女といい、勘左衛門は関わってはいけない世界に足を踏み入れてしまったようだ。
二人の足元を黒い塊がいくつも走り抜けた。
「ぢゅ、ぢゅぢゅ」と鼠の声が闇の中で蠢き、小さな足音が複数重なる。
暗闇にもかかわらず、僅かに届く月明かりを反射する視線が幾重にも重なって勘左衛門を取り囲んでいた。
冷や汗が全身から吹き出すのを感じる。
どんな真剣勝負でも気持ちでは負けたことの無い。そんな勘左衛門でもこの状況では腰が引けていた。唯一の得物である脇差しに右手を添えたものの、金縛りにあったように身体はピクリとも動かない。
とてつもない殺気に囲まれ、動いたら最後、そこに落ちている骨のように食い荒らされる姿が容易に想像できた。
「拙僧の寺を知られたからには、お侍様とて見逃せませんなぁ…
硬そうですが、我儘は言いますまい。命は大切ですからな…」
「…こ、この骨は何だ?」
必死に喉から絞り出した言葉に、僧侶は怪しげに笑った。
「骨?さぁて?拙僧は腹を満たしただけの事。自然の理というものですよ。
あぁ、あの戦の絶えなかった混沌の時代が懐かしい…
あの頃は同胞たちと心赴くままに腹を満たすことが出来ました。
今では人が一人消えれば騒ぎになる時代ですから、非常に生きづらい世になったものです。このねぐらも移らねばなりませんなぁ」
僧侶は過去を懐かしむようにゆっくりと言葉を続けた。
一歩、また一歩と近づく怪僧に従うように、周りの鼠も少しずつ勘左衛門との距離を詰めた。
胆力のある勘左衛門でさえ、この状況に発狂しそうになっていた。それでもみっともなく取り乱して無様をさらさなかったのは、彼の武士としての矜恃があったからだ。
勘左衛門に魔を払う力など無い。打つ手などほぼ無いに等しいが、最後まで武士らしく、と覚悟を決めた。
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