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朱色
夫と娘が家を出たあと、ひと通りの家事を済ませた。一段落しコーヒーを淹れスマホを持った。
ふと私は電話帳を開いた。名前の登録してない電話番号、和哉の番号だ。今掛けたら出るだろうか。仕事で出られないだろうか。
私は今暇なのだ。約束したわけではないが、妻を亡くして辛い思いをしている人を無視するのも冷たすぎる。
出なきゃそれまでだ。掛けたという誠意を見せなきゃ。非通知で掛ければ和哉に私の番号を知られずにすむ。話を聞いてあげるだけ。どうせこんな昼間、出ないだろう……。
私は和哉の番号を押した。
『はい』
出た。どうしよう。切ってしまおうか。非通知だから誰からか分からないはず。
『マーコ?』
「……うん」
『掛けてきてくれたんだ。ありがとう』
「うん」
『昔とおんなじ可愛い声だね』
和哉の声も昔とおんなじ、私に催眠術をかける甘い声。
『今どうしてるの? 結婚してるの?』
「うん。高校生になる娘がいてね……」
夫は働き者で家も買ってくれた。それなりの会社に勤めているので私は専業主婦をやらせてもらっている。娘もしっかりしていて自分の事は自分でする。最近バイトも始め、頼もしくなったーーそんな、自慢話のような話をした。
妻を亡くした男にする話ではないかもしれない。でも、私は今こんなにも幸せなのだ。あなたに構っている暇はない。そう和哉にいいたかったし、自分にもいい聞かせていた。
『そっか。幸せなんだね』
寂しそうに呟くと、和哉は黙り込んでしまった。
「う、うん。和哉はどうしてるの? ご飯とか洗濯とか、掃除とか」
昔の和哉の部屋を思い出した。和哉が住んでいたのはお洒落なアパートだった。しかしその外見とは裏腹に、和哉の部屋はゴミだらけだった。洗濯物も溜まっていて酷い匂いがした。私が行くたびに洗濯したり掃除をしたり。全く何もやらない人だった。
『スーパーで弁当買って食べてる。あとは聞かなくてもわかるだろ?』
「うわ、想像したくないな。子供さんは?」
『うん、俺がこんなんだから嫁の実家にみてもらってる』
「そうなんだ……仕事は?」
『辞めた。働く気になんてなれなくてさ。弱いもんだよね、男って』
こんなにも弱気になってる人に、私は自分の幸せ自慢をしてしまった。なんて嫌な人間なんだろう。いや、私は幸せかもしれないけど、決して満ち足りてなんかいない。
「実はね……」
私は自分の気持ちを和哉に吐露した。いつも1人で夕飯を食べてる事、1人で寝ている事、平日はもちろんだけど、日曜日も1人ぼっちな事。
『マーコも寂しかったんだね』
私の寂しさを分かって貰えて、思わず涙が出そうになった。別に寂しくたって構わない。でも誰かに気付いて欲しかったのだ。私も感情を持つ人間だと認めて欲しかったのだ。甘えたかった。慰めて欲しかった。
『会おう。お互い寂しさを埋めないと、これから生きていけないよ』
私は家を飛び出した。
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