「あと一回」

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「あと一回」

「君が、被害者を襲ったんだな」  某警察署の取調室。机を挟んで向かい側に座る被疑者は、項垂れつつも頷いた。 「動機は、君の犯した罪をネタに、被害者に脅されていたから。そうだね」  これにも同じように、頷く。  そんな被疑者、()()(あつ)()と相対しているのは、彼の上司であり現在の相棒でもあるベテラン刑事だ。 「なぜ私が、犯人だとわかったんですか」  上司は穏やかに答えた。 「君は言っていたね。アパートのなかで倒れている被害者を見つけた時に、被害者があと一回、と呟いていたと」 「それがなにか」  そりゃあ、疑問に思うだろう。 「使だったんだよ」  甲斐が疑問の言葉を挟む代わりに、首を傾げる。  上司は使い古された手帳をスーツの胸ポケットから取り出し、そこに言葉をふたつ書きつけ、それを甲斐へと見せた。 あといっかい かいあつと 「私はこれまで、彼が事件現場で事件を解決する場面を、何度も目の当たりにしてきた。そんな彼が、襲われた間際に発した言葉だ。一見事件と無関係とも思えるその言葉にはなにか意味があると考え、あと一回、という文字そのものに、彼がなにかしらのメッセージを込めたのかもしれないと思い、結果、少し無理はあるが、特定の言葉の文字をひとつひとつ並べ替えると違う意味の言葉が現れるこのアナグラムを思いつき、君に話を聞いたってわけだ」  あといっかい。そのそれぞれの文字を並べ、更に小さい『っ』の文字を大きい『つ』に変えれば、  かいあつと、になる。  とはいえ、『っ』と『つ』の違いであったり『い』がひと文字余ってしまったりと、上司の言う通り、少し無理のある推論ではあるが。 「その隠された意図に気づかず、俺は自分の名前を、まんまとあいつに言わされちまってたわけか」  甲斐が、苦虫を噛み潰したような顔になる。  まさか被害者が呟いたその言葉が、犯人を示す、ダイイングメッセージだったとは。  あと一回。そんな、一見誰もが聞き流してしまうような、事件となにも関係のなさそうなワードを、自らが襲われたあの状況の()(なか)、犯人の名前を示すダイイングメッセージとして使用するとは。甲斐本人はおろか警察の人間だって、もし同じ状況におかれていたら、意識して記憶に留めるだろうか。  転んでも、ただでは起きない。  さすがは被害者。  だったとはいえ、なのだ。 「……でも警察的には、あいつはこのまま死人に口なしの状態になってくれる方がありがたいんじゃないんですか。自分の名探偵って肩書きを悪用して、警察の内部情報を事件関係者への恐喝の材料にしていたんですから」  警察ではまだまだ若手の部類に入る自分はおもわず顔をしかめてしまったが、上司はベテランの貫禄を見せ、あくまでポーカーフェイスを貫いた。  その時、取調室のドアがノックされ、彼と同じ若手の同僚が慌てて入ってきた。 「探偵の彼が、意識を取り戻しました!」  警察という身分でありながら、人の死を望んではいけないことは、わかっているが。  再び彼は、おもわず、今度はポーカーフェイスだった上司も一緒になって、顔をしかめてしまっていた。
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