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 日を追うごとに衰弱していく司郎は、気力を振り絞って一階へ降りると、玄関を出て外の花壇を眺めていた。チューリップの肉厚の葉が、うねる様に天を指し、花がリズミカルに鮮やかな色彩で庭を華やかにする。  人間は、欲にまみれ罪を犯し汚れていくものだ。  両手のひらを開いてぼんやりと眺めた。  この手で研究した薬で、沢山の人を救ったが、こぼれ落ちた物も沢山あった。  恨みを買い、呪いの手紙を送りつけ、魔術の対象にされ、ネットでは葬式まで挙げられている。  贅沢三昧の生活をして、若い学生たちと全力でぶつかり、一本筋が通った人生だったかも知れない。  だが、心にはポッカリと穴が空いたまま、隙間風が吹いていた。  その穴は欲望を満たしても、けっして(ふさ)ぐことができなかった。  疲れが出て、石段に腰かけると天を仰いだ。  その時、花壇の向こうに愛実の姿を認めた。 「お父さん、もう疲れたでしょう。  こっちへ来れば、きっと楽しいよ。  もう充分に働いたから、そろそろ休んでいいと思うよ」  穏やかな顔で、こんな風に言っている気がした。  両手を伸ばし、娘の方へ踏み出そうとしたとき、胸に鈍い痛みが走った。 「そろそろ、お迎えが来たのかも知れない」  か細い声を絞り出し、震える手で胸を押さえる。  地面に手を突き、()うようにして家に入ると、口元にホクロのある女が、階段の上から見下ろしていた。  一言も言わず、こちらを(うかが)っている。  手すりに掴まって身を起こした司郎に手を差し伸べ、肩を組んで階段を上がっていく。 「悪いな」  潰れたしわがれ声しか出なかった。 「仕事ですから」  水無瀬はいつもこんな調子だった。  几帳面で真面目に働いてくれるが、心を開くことはない。  一緒に暮らしているのに、気心がまったく分からなかった。  考えてみれば、大学でも、会社でも、仲間と情を通わせたことなどなかった。  皆財産と名声に、しっぽを振って寄ってくるだけの間柄である。  ため息をついた司郎は、ふと水無瀬の横顔を見た。  暗い影が差した顔に、うすら寒いものを感じたのだった。
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