第1話

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 木々の間から月が見え隠れしている。葉が逆光で黒いシルエットになり、影絵を連想させた。  道は雑木林の中に埋もれるようにして伸びている。舗装されておらず、地面はむき出しだ。所々で石が頭を突き出していて、うっかり踏むたび足裏が鈍く痛む。  逃げている時は走ることばかり気を取られていたけど、こうして歩いていると疲労が意識させられた。どこかに座って休みたいと体は訴える。でも、一度止まってしまったら、もう動けない気がした。だから、ただ足を前へ進める。走るのを止めると、体の火照りが引いていった。流した汗のせいで空気を冷たく感じ、ぶるりと身震いする。 ――あたしは、ちゃんと帰れるのだろうか。  木々のざわめきに、心細さがあおられた。  他に逃げる道があったんじゃないか、と後悔しはじめた時である。前方の闇の中から、小さい橙色の光が浮かび上がった。  あれは、蛍?  いや、それにしては全然動かない。飛んでいるなら、ちょっとだけでも揺れ動くはず……  あたしは首を傾げた。けど、近付くにつれて、それが蛍ではなく家の明かりなのだと気付き納得する。  でも、こんなところに家?  不思議には思ったけど、濃い闇の中の橙色の明かりはことさら温かく見えて、あたしの足は自然とそちらに向かっていた。  橙色の明かりは門の屋根に吊るされた照明のものだった。四角い木の枠に和紙が張られたもので、何という名称かは知らない。なんとなく、提灯ではなく行燈に似ている気がする。  門からは月明かりに照らされた家が覗いていた。暗くてよく分からないけど、門の感じからして古めかしい家なんじゃないかな。それで、子供の頃に聞いた昔話のマヨイガを連想した。  門の前に着いたあたしは足を止める。街灯に誘われる虫のようにフラフラと来てみたものの、見知らぬ家を訪ねるのはためらわれた。  そもそも、何て声をかければいいんだろう。しかも、他所の家を訪ねるのには遅い時間だ。  でも、戻ったら……  両手をぎゅっと握りしめて、門の内側へ足を踏み入れる。  玄関は曇りガラスがはめ込まれた引き戸だった。扉の向こう側に見えるのは闇ばかりで、人の気配はない。  ええいままよ、とあたしは家人を呼ぶため手を伸ばした。 ――あれ?  けれど、手は宙を彷徨うばかり。玄関の壁にインターフォンが見当たらなかったのだ。どこかにそれらしいものがないか探したけど、やっぱりない。 「どうしよう……」  途方に暮れたあたしは、何気なく左手に視線を向けた。庭木が家を囲むように植えられているのが、月明かりに照らされて見て取れる。今いる正面の庭はそんなに広くはないけど、こんな古めかしい家なんだから、ちゃんとした庭があるかもしれない。  あたしはちょっと逡巡した後、家を回り込んでみることにした。
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