初雁商の夏

1/3
前へ
/7ページ
次へ

初雁商の夏

 あのときは、7回だった。俺がまだ高校3年生、甲子園を目指していた最後の夏。俺たち初雁(はつかり)商業高校はそれなりに実績ある古豪のひとつで、県大会の地区予選は余裕で突破出来るはずだった。  決勝戦、初雁商が1点リードして迎えた7回裏、得点は【5-4】。ツーアウト、ランナーなし。控え投手の林原(はやしばら)が投じた一球は、平凡なライトフライでグラブに収まるかに見えた。 「ファール!」  上空の風に大きく流されて、ボールはファールラインの外に落ちた。それが、悪夢の始まりだった。 「選手は、ベンチに引き上げて!」  まだ青空が残るのに、突然、滝のような雨粒に襲われた。野手の姿が見えないくらいのどしゃ降りに、審判員が試合を止める。 「雨の予報なんかなかったのになぁ」  キャッチャーマスクを外してグッショリ濡れた頭を拭きながら、マウンドに目を向ける。ブルーシートで覆われていても、水溜まりがみるみる池に、湖に変わっていく。これじゃあ、再開後も内野はぬかるんで足を取られるし、外野も水が浮いてイレギュラーバウンドが増えるに違いない。正直、厄介だと思った。 「このままノーゲームになんて……ならないよな」  隣で三塁手(サード)武田(たけだ)が呟いた。試合成立まで、あとアウトカウント1つ足りない。もし中止になれば、この試合はノーゲーム、やり直しの再試合になる。試合数が増えれば、それだけ投手の肩にかかる負担も大きくなる。本大会の試合日程を考えても、この試合で決めておきたい。タオルを絞る手に力が入る。どうせならあとひとつ、アウトが取れてから降っても良かっただろうに。 「柾木(まさき)。一応、肩作っておけ」 「はい」  監督も嫌な雰囲気を感じていたのだろう。本来、登板予定のなかった初雁商のエース、柾木将真(しょうま)がベンチから立ち上がりブルペンに消えた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

25人が本棚に入れています
本棚に追加