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『ピッチャー交代。林原君に代わり、柾木君。背番号1、ピッチャー、柾木君』
俺がマウンドに向かう前に、監督が動いた。エースナンバーを背負った柾木の登場に、初雁商スタンドが沸いた。
「さっさと片付けるぞ、信之介。まだ2回残っている」
「ああ。まずは、あとひとりだ」
ミットの下で会話を交わし、俺はキャッチャーボックスに帰る。柾木――将真とは、ジュニアからのチームメイトで、リトルシニアでは、共にK県の強化指定選手に選ばれたこともある。俺たちは、10年以上、バッテリーを組んできた仲だ。
よし。ストレートは走っている。球速も申し分ない。変化球は……。
投球練習の間にチェックして、肯く。大丈夫、将真なら押さえられる。
過信していたわけじゃない。けれども、一度手放した試合の流れを取り戻すには、まだなにか足りなかったのかもしれない。
バッターボックスには、今大会本塁打を2本打っている2番バッター。長打を警戒しながらの配球が粘られて、フルカウントになったあとの8球目、選んだフォークボールは俺の1m手前で跳ねると、キャッチャーミットの左をすり抜けて――後逸。慌てて掴んだボールをカバーに入った将真に返そうとしたときには、ホームベースに滑り込む相手選手の背中が見えた。
「焦るな。まだ同点だ」
内野陣がマウンドに集まる。俺が声かけをする前に、将真が仲間たちを鼓舞した。
こちらは後攻だ。あと2回、攻撃のチャンスがある。分かっているのに、どうしても消せない不安が澱のように胸の奥で淀んでいる。
悪いイメージが悪い流れを引き寄せたのか、それともその流れに既に飲み込まれていたのか――次のバッターに投じた一球はピッチャー返しになり、鋭い打球が将真の右肘付近を直撃した。マウンドで蹲る彼の後方に白球が飛ぶ。遊撃手の渡瀬が急いで拾って一塁に投げたが、オールセーフ、逆転のランナーが俺の前を駆け抜けた。
エースの負傷交代は、俺たちから平常心を奪うには充分だった。緊急登板でマウンドに上がった三番手は、成長著しい2年の次期エース候補だが、本来の力を発揮することなく激流と化した悪い流れの渦に飲まれて沈んだ。
残酷なほど澄み渡った青空に、試合終了のサイレンが響く。【5-10】、初雁商の夏は、予定よりひと月も早く終わりを告げた。
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