1 あなたを推してます!

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 この推し活手帳には、夕美が得た神原社長の情報がびっしりと書かれている。  彼のヘアスタイル(ヘアカット後の日付もチェック)、スーツとネクタイの色、靴の種類、チラッと見えた靴下のカラー、腕時計、フレグランスの種類、出社時刻、持ち込んだコーヒーがどこのショップのものか(タンブラーを使っているか否か)、お昼ご飯に何を食べたのか、取引先に何時頃向かったのか、などなど……。  見返すのが楽しい、生きる糧にもなっている大切な手帳だ。  夕美はお気に入りのボールペンを手にし、今日一日の出来事に思いを巡らせた。 「今日は社食にいらしたから、さりげなく後ろの席に座って聞き耳立てちゃった。マーボー丼が好きだなんて、私と一緒で嬉しい……! そういえばドラマも見てるって言ってた。こっちも偶然、私が最近ハマってるやつ~!」  興奮しながら言ったところで、ふと手帳を書く手が止まる。 (我ながら気持ち悪いとは思うけど、こっそり推させていただいているだけなので、お許しくださいね、社長。絶対に迷惑がかかることはしませんので。誰にも言いませんし。いや、こんなこと言えるわけないけど)  考えたところで今さらである。  夕美は気を取り直し、色ペンを使って「挨拶」の部分にアンダーラインを引く。  「今朝のおはようの声、最高だった~~っ!!」  と、声を上げたところでハッとした夕美は、慌てて口を両手で押さえた。 (いけない、いけない。このお部屋、お隣さんが何をしゃべっているかまではわからないけど、大きい声は聞こえるんだから。夜は特に響くから、ね)  夕美が住む築三十年を超える木造の賃貸アパートは、鉄筋コンクリート造のマンションとは違って遮音性が低い。冬は寒く、夏は暑さが厳しかった。  しかし都内の駅近で通学にも便利、家賃も安いため、夕美は大学入学で上京した際、この物件を選んだ。  そんな古い物件も住めば都。日当たりと風通しの良さを長所とし、古さを生かしたレトロなインテリアにして、夕美はささやかなひとり暮らしを楽しんでいた。  就職してもここを離れなかったのは、通勤にも便利だったのと居心地の良さからだ。
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