恋してみたい

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「うーん。何から始めるか」  カウンター席で一人、ギネスビール片手にスマホをいじる。  今日連絡先を交換した、フリーの元同級生にメッセージを送ってみるか。  それとも、マッチングアプリに登録して一から出会いを求めてみるか。  それとも推しを見つけるか。  ……どれもピンとこない。  なんというか順序が逆な気がする。  恋する為に出会うのではなく、出会って恋に落ちたい。  不可抗力のような、心を奪われる感覚を味わってみたい。  やっぱり私みたいな初心者は、恋愛ドラマや映画を観て勉強してからの方がよさそう。 ────「ちょっといいですか?」  爽やかな風が吹くような男性の声に目を見開く。  私の左隣に腰かけ、こちらに向かって微笑んでいる男。 「こんばんは。お一人ですか?」  とても容姿端麗な男性だった。  見た感じ、私より少し年下っぽい。  色素の薄いふんわりとした髪に、女性みたいに愛らしい顔立ち。  くっきりとした目元が印象的で、アーモンドのような黒目が麗しく目を奪われる。  その目に見つめられるだけで、心臓が……。 「良かったら、僕と飲みませんか?」  そんな誘いにごくりと固唾を呑み込む。  ……まさか。こんな出会いが舞い降りてくるなんて。  これってもしかして、恋に落ちる瞬間なんじゃ。 「唐沢(からさわ)と申します」 「唐沢さん……」  なんて素敵な人なの。  上品な物腰や微笑みは、昔読んだおとぎ話の王子様みたい。 「お名前、教えてくれませんか?」 「名前……」  間違いない。  これは、恋の始まりだ。  勇気を出して、一歩踏み出さなきゃ。 「さ、酒寄(さかより)まゆ……」 「……真弓。お待たせ」 「………………?」  私の自己紹介をかき消すようにして背後から低い声が響いた。 「ファ!?」  びっくりして、条件反射のように背筋をピンと伸ばし奇声を上げた。 「仕事が長引いて遅くなった」  この声、知ってる。  毎日毎日、嫌ってほど聞いている声だ。  血の気が引いたように冷や汗が滲む中、恐る恐る振り仰ぐ。 「……俺の彼女になんか用ですか?」  さり気なく私が座る椅子の背もたれに触れ、牽制の言葉を発し唐沢さんに微笑む男性を見上げ驚愕した。 「……(つじ)さん」  辻光晴(みつはる)。私の直属の上司だ。  それも、社内で一番苦手な上司。  凜とした大人の色気もあって仕事もできるから、一部の社員から絶大な人気があるけれど、ゴーイングマイウェイで高飛車なところがある要注意人物だ。  どうして彼がこんなところに。 「あ……ごめんなさい、彼氏さんいたんですね!」  ハッとしたように目を見開いて、すぐに立ち上がる唐沢さん。 「あ、あの、ちょっと」 「失礼しました。僕はこれで」 「ちょ、ちょっと待って」  慌てて引き留めても、唐沢さんは頭を下げてすぐに背を向ける。 「待ってー!」  待って! 私の恋!  遠くなっていく彼の背中を見つめ、恋する前から失恋したような絶望に落とされる。 「……ったく」  そうこうしている間に辻さんは右隣に座り、ビールを注文し始めた。 「変な奴に捕まってんじゃないよ君は。俺がたまたまいたからよかったものの」 「…………………」  さも良いことをしたと言わんばかりの口振りに、額にピキッと血管が浮かぶのを感じた。 「ハッキリ断らないとああいう輩の思うつぼだぞ? もっと自分を大事にしなさい」 「………………」 「まあいい。一人で寂しいんなら飲むくらい付き合ってやる」 「………………」  私の初めての恋を台無しにするなんて。  …………許すまじ。辻光晴。 「なんてことしてくれたんですかァー!」 「え?」  鳩が豆鉄砲くらったような顔をする辻さんの肩を掴み大きく揺らす。 「私の初恋返してくださいよォォォォォ!」 「え!? 何!?」  「返してェェェェ!」  店内に私の絶叫が響いた。  
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