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「ひどい……ひどいですよ……初めて恋できると思ったのに」
ビールを一気に飲み干して、今度は静かに啜り泣く。
厄介な酔っぱらいと化した私を、辻さんはちょっと引いた目で見ている。
それでもさり気なくおかわりのビールを注文してくれたり、皺一つない清潔感溢れるハンカチを差し出してくれた。
「俺は謝らないぞ」
「いや謝ってくださいよ」
「絶対謝らない」
「………………」
だめだ、また怒りが沸いてくる。
「……謝らないけど、聞いてやるよ。酒寄の話」
ふっと柔らかく笑う辻さん。
美しい線を描いたキリリとした眉毛と切れ長の瞳はクールな印象なのに、笑うと優しくて面食らう。
悔しいけど、この笑顔とギャップにコロッとやられる人も多そうだ。
「……話しません」
「話してみろって」
「いやです!」
「全部吐くまで帰さないが?」
目が据わりだしたので、だんだん弱気になってくる。
とことんまで攻めていくタイプの彼のプレゼンを思い出し、辟易してため息をついた。
「……私、この歳になるまで一度も恋したことなくて。急に心配になってきたんですよね。このままでいいのか。今までもったいないことしてたのかなって」
もっと若いうちから恋しておけばよかった。
キラキラした眩しい時間は、どんなに願っても決してやり直せない。
「ほおー」
無理矢理吐き出させといて、薄い反応でビールを飲み続ける辻さんに、またもや恨みが募った。
「だけどさっき、やっと恋のチャンスが舞い降りてきたんですよ! すごく素敵な人! それなのに辻さんが邪魔するから!」
辻さんは不服そうに私を見た。
少し呆れた目をして。
「……あのな、ワンナイトにラブなんてないんだよ!(※個人の見解です) そこにあるのは性欲のみ!」
「そんな、言いきらなくても……」
「いや、あえて言いきる。目を覚ませ。別に君の今まではもったいなくなんてない」
「え……?」
辻さんは真っ直ぐに私を見つめた。
見下したり、同情したりもしない目で。
「酒寄は今まで、真摯になって仕事に打ちこんできた。まるで服に恋してるように見えたぞ」
「服に?」
びっくりした。まさか辻さんがそんなことを言ってくれるなんて。
確かに私は、今まで仕事が生き甲斐で、自社ブランドの洋服達を大切に思ってきた。
好きな服を着ると心が弾む。
自分のことを好きでいられる。
そんな気持ちをお客様にも味わってほしくて。
「自分で自分の生き様を貶すな。例え恋をしていなくても、君は充分にイキイキとしている」
普段の辻さんらしからぬ温かい言葉。
お酒のせいだろうか。だとしたら、本当の彼はこっち?
「ありがとう……ございます」
正直言って心を打たれてる。
こんなふうに自分を肯定的に見てくれているなんて思いもしなかった。
もしかして辻さんは、部下のことをきちんと気にかけて評価する素晴らしい上司なんじゃ。
「……でもまあ、そこまで恋がしたいなら。……仕方ないな。付き合ってやってもいいぞ」
「え?」
辻さんはいつもの自信と自己陶酔に満ち溢れた笑みで言った。
「俺に恋してもらって構わない」
「………………」
絶句して声が出ない。今なんて?
酔いすぎて幻聴が聞こえた?
「恋していいぞ。軽率に」
……まさか。
「………………」
「遠慮しないでいい」
…………こんなにときめかないことってある?
「あ、大丈夫です。やめときます」
「は?」
心底理解できないというように、辻さんは驚愕の表情を浮かべていた。
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