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予想外のハプニングだったけれど、この件で辻さんの温かく深い懐を知ることができたし、彼のことを見直したので結果的に有り難かった。
これからは尊敬する上司として信頼できそう。
「お気遣いありが」
「じゃあ、疑似恋愛は?」
「……疑似恋愛?」
辻さんは自信満々に微笑む。
「俺のことは何かのキャラクターだと思えばいい。細かいことは気にせずに、恋心だけ体験してみては?」
彼の提案にハッとした。
流石、数々の難題なプレゼンに成功してきた男だ。
正直に言って少しだけ魅力を感じてしまった。
「恋愛感情が芽生えなかったらそれでいいし、そこは後腐れなく行こう。恋愛予行演習って感じだな」
「恋愛予行演習……」
それは有り難いかもしれない。
例え本当の恋じゃなくても、淡い気持ちを抱かせてもらえるなら。
結婚願望もない私は、一人の人と長く付き合うなんてハードルが高い。
まだまだ仕事に没頭したいし。
「どうだ? それなら試しやすいだろう?」
穏やかに微笑む辻さんを見上げる。
確かにこの人だったら、私の事情を全部知っているわけだし、頼みやすい。
疑似恋愛なら、辻さんに迷惑をかける心配もない。
「……本当に、いいんですか?」
「俺は構わないが」
ごくりと固唾を呑み込んで頭を下げる。
「……じゃあ少しの間だけ、お願いします」
信じられないけれど、私はまんまと彼の提案にのってしまった。
……疑似でもいいから恋がしたい。
甘くとろけるような気持ちを、一度でいいから味わってみたい。
「決まりだな」
ニヤリと笑って、彼は突然私の手を握った。
「わっ」
初めて触れる男の人の手に、思わず声を上げる。
「……初々しくて可愛い」
うっとりと微笑む辻さんに絶句した。
大きくて温かい手。それにゴツゴツとしていて、男らしくて。
……耐性がない。
「おい、さぶいぼ立つな」
「……すみません」
こうして前途多難になりそうな恋愛予行演習は始まったのだった。
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