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瑞生の希望通り、恭介が選んだのは後方の扉に一番近い端の席だった。ここなら、万が一知り合いを見つけても、気づかれずに出入りできるだろう。ポップコーンを二人の席の間に置くと、恭介がそれを取るふりをして手の甲に触れてきた。とっさに反対の手ではたいてしまう。ポップコーンが床に五粒ほど転がり落ちた。
「デートじゃないから。お触り禁止」
「ちぇっ」
恭介が唇を尖らせながら手を引っ込めた。
「そんな顔してもだめだから。今日は『友達』」
「はいはい、分かってますよ」
恭介は、瑞生に触れることも話しかけることもなく、おとなしくポップコーンを食べ始めた。瑞生は座席に体を預け、映画の予告をぼんやりと見つめた。「禁断の恋。だけどこれは、純粋な愛だった。見終わったあと、きっとあなたも恋がしたくなる」というナレーションが流れた映画は、当然のように男女の恋愛が前提とされていた。「コメディの巨匠が渾身の笑いをお届け」と銘打ったアニメ映画では、女言葉を使う体格のいい男性キャラクターが「オネエ」と呼ばれ、「あんたイケメンね」と主人公の男の子にキスしようとして嫌がられていた。
瑞生の体がシートに深く沈んでいく。多様性を受け入れようという流れがある一方で、ゲイが「存在しないもの」や「笑ってもいいもの」として描かれ、蔑ろにされている現実を目の当たりにするたび、瑞生の中には諦めが蓄積されていった。
――どうせ、僕の悩みは誰にも分かってもらえない。
『分かっていたはずだろう。これが現実だ』
勝ち誇ったような父の声が頭の中に響く。瑞生はポップコーンを口に入れ続け、咀嚼音でその音をかき消した。
やがて映画本編が始まった。高校生の少女カンナが、隣の席の同級生リュウに恋をする話だった。
『大丈夫、きっと好きになってもらえるよ。だってこんなにかわいいんだから』
悩むカンナに対して、友達の女の子がかけたセリフだ。
『でも、不安だよ……』
演技に拙さの残るカンナ役の女優が、アップで映し出された。
『大丈夫。カンナは努力してる。努力してる女の子を好きにならない男の子なんていないよ』
力強く友達が言い切って、カンナが大きく頷いた。
『ありがとう。勇気出てきた。私、頑張る』
恭介が体を少し前に動かして、ポップコーンを口に放り込んだ。瑞生の背中はシートにべったりとついたままだ。
――努力するだけで好きになってもらえるとしたら、ゲイだからってだけでこんなに悩む必要はないだろうな。
瑞生は、恭介の手が膝の上に置かれたのを見計らって、ポップコーンに手を伸ばした。日本におけるLGBTの割合が約十パーセントだというなら、この画面に映っているエキストラを含めた役者や、製作スタッフの中にも、瑞生と同じような思いを抱えた人たちがいるはずだろう。それなのに、性的マイノリティだというキャラクターは一人も出てこなかった。
ぼんやりと画面を眺めている間に、物語はクライマックスに差し掛かっていた。リュウに言い寄る幼馴染や、カンナの女友達に恋路を邪魔されながらも、二人は関わりを深めていき、ついに迎えた卒業式の日。桜の木の下で、カンナがリュウに上ずった声で告白する。
『好きです。ずっとずっと前から、入学した時から好きでした。付き合ってください』
『俺も、ずっと好きだった。これからは友達じゃなくて、俺の彼女になってほしい』
『うん、嬉しい』
カンナがリュウに駆け寄った。抱き合う二人の周りに、ふわふわと桜の花びらが舞っていた。満面の笑みをたたえたリュウがアップになる。
『そして、いずれは結婚しよう』
『もうっ、気が早すぎるよ!』
カンナが照れながらリュウの背中をたたいた。
周りからは噛み殺した笑い声と、鼻をすするような音が聞こえてきた。恭介の様子をうかがうと、涙こそ流していなかったが、唇を噛み、泣くのをこらえているような顔をしていた。
――そういえば、恭介はこの手のピュアでベタな恋愛物語が好きだったな。
こういう恭介の純粋なところを好きになったんだった。瑞生の口角がゆるゆると上がっていく。エンドロールの途中で抜ける人たちが多い中、恭介は最後まで画面を見つめ続けていた。
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