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「もしもし、今いい?」
「何」
思いのほか、硬い声が出てしまった。
「今、お母さんと一緒にいるの」
「は?」
「待って、切らないで!」
とっさにスマートフォンを耳から遠ざけると、それを取り上げた恭介が、勝手にスピーカーフォンにしてテーブルの上に置いた。
「大丈夫、お父さんはいないよ。今ここにいるのは、私とお母さんだけ。お母さんがどうしても瑞生に話したいことがあるんだって。私は席外すから」
「……分かった」
目が泳ぐ。心配そうに恭介が見てくるが、指でオッケーサインを作ってみせると安心したように肩から力を抜いた。
「じゃあ、代わるね」
と祥。
「もしもし?」
数秒の間のあとに聞こえたのは憔悴しきった母の声だった。自分のせいだ、と瑞生は罪悪感にさいなまれる。
瑞生がもしゲイだと知られなければ、そもそも、女性を好きになる普通の男の子だったら、母をこんなに悩ませることもなかっただろう。
「この前は突然電話してしまってごめんなさい。気が動転してたせいで、瑞生と恭介くんのことをお父さんにも言ってしまったし、お父さんと一緒にいる時に電話をかけてしまったわ。お父さんが過剰に反応するのは分かってたはずなのに、そこまで気が回らなかった。本当にごめんなさい」
謝罪されるとは思わず、面食らった。瑞生の発言を待たずに、母は一方的に話し続ける。
「お母さんね、あれからいろいろ調べたの。瑞生は女の子になりたいのよね」
「え? 違うよ……」
視線を感じて顔を上げると、恭介も戸惑ったような顔をしていた。
「でも、瑞生は男の子が好きなんでしょう?」
「そうだよ」
「じゃあやっぱり心が女の子なのよ。ごめんね、女の子に産んであげられなくて」
「違うよ。僕はゲイで、トランスジェンダーじゃない」
「何が違うの?」
話が通じない。瑞生は母に聞こえないようにため息をついてから口を開いた。
「ゲイは、男として男が好きなんだ。トランスジェンダーは、自分の心と体の性別が不一致だと感じてる人で――」
「とにかく、普通に産んであげられなくてごめんね」
話の途中で謝られた。よほど参っているらしい。母は涙声だった。父さんに「お前のせいだ」と責められたのだろうか。早く母を慰めるような言葉を言ってあげなければ、と瑞生は思った。母が自分を責める筋合いはない。
「母さんのせいじゃない。僕の方こそごめん。種の保存とか考えられない、同性を好きになってしまうような欠陥品で、ごめん」
突如、恭介の指が伸びてきて、通話終了をタップし、スマートフォンの電源を切った。
「勝手に切らないでよ。まだ途中だったんだけど」
掛けなおそうとした手をつかまれる。強い力だった。
「瑞生、自分で『欠陥品』だなんて言うなよ」
顔を上げれば、恭介がわなわな震えていた。
「でも事実だから。母さんが言うとおり、僕は『普通じゃない』んだ。子孫を残すという本能が働いてなくて、同性にしか性的魅力を感じないなんて、生物として正しくないだろう? 欠陥品に価値なんかないよ」
瑞生は自分で言いながら、胸が痛んだ。欠陥品。ずっと父が同性愛者に対して使っていた言葉。間接的に瑞生に言われていた言葉だった。瑞生が頭の中の父を通じて、自分自身に言い聞かせてきた言葉でもある。
恭介が舌打ちをした。
「お前の理論だと、子供がいないカップルは全員欠陥品だってことにならないか? 子供を持たない選択をした夫婦や、不妊治療してる夫婦は欠陥品か?」
「違う。それとこれは話が別だ。あえてそうしない、そうできない理由があるじゃないか。僕のは生物学的に反する」
即座に否定するが、恭介は納得しなかった。
「じゃあ、生殖機能がない人間も欠陥品なのかよ! その人たちも生物学的に反するって言うのか!」
恭介がいきなり怒鳴ったと思ったら、すぐに高笑いを始めた。
「瑞生の理論から言ったら、俺も、俺の両親も『欠陥品』だな」
「は? 恭介たちは違うだろ?」
瑞生は恭介の変わりようについていけなかった。困惑したまま、疑問を口にした。
「違わない」
恭介が唇を噛んだ。
「今まで言ってなかったけど、俺は体外受精で生まれた子供なんだ。俺の両親は、科学の力を借りなければ子孫を残すことができなかった。自然の生物にはありえない妊娠方法だよ。まさにお前が言う『欠陥品』だろ。いくら瑞生に『堂々としろ』って偉そうなことを言ったって、所詮俺は『生物学的に反する』存在だ。そんなやつのいうことなんて、聞きたくないよな。ほら、笑えよ。『欠陥品』が偉そうなこと言ってるって、笑えよ!」
恭介の告白に、瑞生は目を丸くした。次に、意識しないところで恭介を傷つけてしまったことにうろたえた。
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