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土曜日の午前十時半、瑞生は恭介と一緒にバスに揺られていた。先ほど新幹線で実家の最寄駅に着いたばかりで、今から瑞生の実家に向かうところだった。バスの中はクーラーが効いているが、外でバスを待っていた分の汗が瑞生の脇を濡らしていた。こっちは東京と比べて気温は高くないが、盆地のため、湿度が高く、蒸し暑い。
瑞生は隣に座る恭介に視線をやった。唇を閉ざし、緊張したように表情が硬い。まるで、敵地に赴く戦士のようだと瑞生は思った。こんな戦士が隣にいてくれるなら心強い。瑞生はバスのフロントガラスごしに外を眺めた。山に囲まれた閉鎖的な土地。窓からは、朝とは思えないほどの強い陽ざしが差し込んでくる。
これからもっと気温が高くなりそうだった。
瑞生の家は木造の一軒家だ。インターフォンを鳴らすと、母が出てきた。「結局二人で来ちゃったのね……」という独り言が聞こえてきたものの、追い返されることもなく、リビングに通された。そこで待ち構えていたのは、ドアを開けたところで仁王立ちする父だった。
瑞生の父は、恭介を見るなり挨拶もせずに怒鳴りつけた。
「お前、瑞生と付き合うなんてどういうつもりだ。ホモなんて気持ち悪い。俺の息子をたぶらかしやがって!」
「父さん、誤解だよ」
間に入ろうとした瑞生を押しのけて、父は恭介の胸ぐらをつかんだ。
「今すぐ別れろ。同居もやめろ。引越し代は俺が出す」
「嫌です」
きっぱりとした口調で恭介が断った。父から目を逸らさない。父が大きな舌打ちをした。放り投げるように恭介から手を離したので、瑞生が受け止めた。両肩に手を置き、後ろから抱きかかえるような格好になる。
「俺の前でベタベタするんじゃねえ。気持ち悪い!」
父が両腕を前に出し、恭介を突き飛ばそうとした。しかし、筋肉質な恭介の体はそれを跳ね返し、父が後ろに倒れた。勢いあまって尻もちをつく。
「お父さん!」
母が駆け寄ると、父は何度も床に拳を打ちつけた。
「くそっ!」
「父さん」
瑞生が恭介から離れ、父に一歩近づくと、舌打ちをされた。鋭いまなざしに射すくめられる。
「祥は家を出たんだぞ。お前が結婚しなかったら真山の名前は誰が継ぐ? お前はちゃんと女と付き合って、将来的には結婚して、妻に子供を産ませて、社会に貢献しろ」
父は肩で息をしながらも、まばたきをせず、瑞生から目を離さなかった。普段だったら何も言えずに終わっていたが、今は恭介もいる。ここで父の意見を跳ねのけなければ、恭介にも「女と付き合えない、社会に貢献できない人間だ」というレッテルが貼られることになる。
もう一歩踏み出した。父が一瞬怯んだようにまばたきをした。
「女性と付き合うことが社会貢献に繋がるんですか」
「その先だ。日本の人口を増やすことが社会貢献になるだろ。そうするのが国民の義務だ」
父が鼻を鳴らした。瑞生は、不妊治療の末に生まれた恭介のことを思って口を動かした。
「そんな義務はありません。日本国憲法で定められた義務は、『教育を受けさせる義務』『勤労の義務』『納税の義務』の三つだけです」
揚げ足をとられた父は、顔を真っ赤にして喚く。
「そんなことはお前に教えられなくても分かっている! 言葉の綾だろ。義務くらい大事なことだって意味だよ。ホモばかり増えたら、日本の人口は減り続ける! ただでさえ少子化だっていうのに」
まるで屁理屈を言う子供のようだった。瑞生は、父を見下ろしながら、気持ちが冷めていくのを感じていた。
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