22/24
前へ
/96ページ
次へ
 新しい緑茶を一口すすってから、父は眉間にしわを寄せて語り始めた。 「俺が十歳の時、あいつが離婚して出てった。原因は性格の不一致と言っていたが、本当は違った。あいつはゲイだったのに、無理して俺の母親と結婚した。ゲイから生まれた、俺みたいな人間もいる」  自分は女性と子供を作ることができるだろうか、と考えてしまった。とっさに思い浮かべてしまったのは、恭介の元カノの顔だった。瑞生と恭介をモデルにして作ったキャラクターを好き勝手に絡ませて称賛を浴びていた人物だ。彼女のSNSを見た時の感情がよみがえってきて、気持ち悪くなる。緑茶で無理やりそれを押し流した。 「俺が生まれたんだから、妻に対する愛がなかったわけじゃないと思うが、『これ以上自分を偽るのは無理だ』と言って、結婚生活から逃げ出した。そんなことなら、最初から母さんと結婚しなきゃよかったのに! 母さんを裏切って不幸にしたあいつを、俺はずっと憎んで生きてきた」  父が湯飲みをあおって、テーブルに置いた。その手が震えていることに気づいた。父の中にあるのは怒りだろうか、それとも悲しみだろうか。険しい顔をして父が語り続ける。 「俺が中学生の時、あいつが路上で男とキスするところを見てしまった。虫唾が走ったよ。自分の中で留めておけなくて、夕食の準備をしていた母さんに言った。そしたら母さん、包丁を持ったまま笑ってた。『あの人は生まれる性別を間違えたのよ』『男と付き合ったって人口を増やせるわけないのに。そんな相手に欲情するなんて生物学に考えたらおかしな話よね』『男は女と結婚し子供を育てるという本能が備わっているはずなのに、あの人はおかしい。本能が備わっていない、人間として欠陥品』。何かにとりつかれたかのように言い続けた。恐ろしかった。俺が母さんを壊してしまったと思った」  恭介がぴくりと反応したが、お茶を飲んで言葉を押し留める方を選んだようだった。 「母さんは様子こそおかしくなってしまったが、言ってることは全部間違ってないだろ?」  誰も頷かなかったが、父は気にせずに喋り続けた。邪魔が入らないせいか、いつもより饒舌だった。 「あいつは、おのれの欲望と自由のために母さんと俺を捨てたんだ。だから俺は、自分が妻と子を持った時には絶対に大切にすると誓った。子供が生まれた時は嬉しかったよ。でも、成長するにつれて、様子がおかしいと思った。祥は全然女らしくないし、瑞生も男らしくない。二人とも性別を間違えて生まれてきたのかと思ったよ。その時、二人にはあいつの血も混じっていることに気がついたんだ」  父は酒でも飲んでいるかのように上機嫌だった。対照的に、その隣にいる母は肩身が狭そうに静かにお茶を飲んでいる。父が目を見開いて、唾を飛ばした。 「このままだと祥も瑞生も変になるんじゃないかって思うと気が気じゃなかった。だから、普通じゃない方向に進もうとする二人を導いてやらなければと思った。祥は子育て成功だ。結婚して、子供を産んで、ちゃんと人並みの幸せをつかんだ」  祥の泣き顔が脳裏に浮かんだ。祥は幸せそうに見えて、いろいろ悩んでいた。 「でも瑞生は失敗だ。元から女の子みたいにおとなしかったし、かわいいものも好きだったもんな。テレビに映るアイドルも、女よりも男が映っている時の方が長い時間眺めていた」  それは、彼らが好きだったからというよりは、彼らが人前で同性と距離を詰めているのが羨ましかったからだ。 「瑞生を見ていると、あいつの影がちらついた。男に色目を使うなんて気持ちが悪い。おどおどして男らしくもない。お前もどうせ、あいつと同じように、路上で男とキスするような気色の悪い人間なんだろ。お前は子育て失敗だ。失敗作だから、男を好きになるような子になってしまった。お前から、あいつの血だけを抜くことができたらいいのになあ? そしたらお前も普通に女を好きになって幸せになれるはずなのになあ?」  父が人差し指を向けてきた。瑞生は唇を噛んだ。 「失敗ってなんだよ。僕だって精一杯生きてるよ……」  ぼそりと呟くと、机の下で恭介が手を握ってくれた。恭介の体温のおかげで、瑞生は正気を保っていられた。  父が短く息を吐き出し、両方の手のひらを天井に向けた。 「結婚もできない、子供もできない。それって正しい幸せの道じゃないだろ? お母さんはどう思う」 「普通に産んであげられなくて申し訳ないって思ってるわよ。もっと瑞生を正しい方向に導いてあげられたら良かった。祥の時はうまくできたのに……」  母がうなだれて顔を両手で覆った。瑞生は、姉の言葉を思い出した。 『でも、本当は、もっとやりたいことがあったの』『私の人生には、私の意志が一つも入ってない』 「ほらな、母さんもそう言ってる。男らしくもない。普通に恋愛もできない。お前は失敗作なんだよ」  父が肩を揺らして笑った。数日前に恭介から言われた言葉が、反論として頭の中に現れた。 『正しさに正解がないように、普通だって人それぞれだ』
/96ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加