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「思春期に自分の父親が男とキスをしてるのを見たら、びっくりすると思う。苦労している母親を身近に見てきたならなおさら、父親が自由に生きてるのを見て憎らしく思うかもしれない。それに関しては同情します。でも、それって僕は関係ないよね。同性愛者が全員、家族を蔑ろにするわけじゃない。異性愛者だって全員一人ずつ違うように。勝手に決めつけないで。僕は僕、おじいちゃんはおじいちゃん。僕も、父さんと母さんのこと『どうせ分かってくれない』って決めつけるのやめるから。理解してくれなくてもいい。でも、僕が自由に生きるのは認めてください。僕の幸せは、僕に決めさせてください」  腰を深く折った。隣で同じように頭を下げる恭介の気配がした。 「おじさんが大変だったこと、分かりました。でも、瑞生を苦しめていい理由にはなりません。おじさんもおばさんも、瑞生を『普通』から解放してやってくれませんか」 「ごめん、理解が追いつかないから少し時間をちょうだい……」  母さんの声に顔を上げると、瞳が潤んでいた。ゲイであることを隠して過ごしていた頃と全く同じ目を向けられることは、もう二度とないのだと悟った。カミングアウトしたことを後悔しそうになるが、恭介の手の温もりが、瑞生に現実と向き合う勇気をくれた。  父は一言も発することなく、空っぽになった湯飲みを見つめている。母が代わりに口を開いた。 「瑞生、お父さんにも時間をあげて。お父さんだって、瑞生のこと大切に思ってるし、幸せになってもらいたいって思ってるのよ」 「お前は黙ってろ!」  一喝してから瑞生をぎろりと見て、父が立ち上がった。 「とにかくお前らは、俺が何か言っても一緒にいるんだな。なら、もう帰れ。これ以上話すことはない」 「待って、お父さん」  母の制止も聞かず、父はリビングを出ていった。母が涙目を瑞生に向けた。 「ごめんね。お母さんが説得しておくから。お父さんも瑞生が心配なんだと思うの」 「大丈夫だよ、母さん。最初から一回で認めてもらえるとは思ってないし。いろんな情報を詰め込みすぎて、父さんも疲れちゃったんだと思う。気にしないで」  瑞生は笑顔を作ってから、床に置いていた荷物を持って母に頭を下げた。 「ごめん、そろそろ行くね」 「もう行くの? 昼ご飯くらい食べてったら?」  母が音を立てて立ち上がった。瑞生は首を横に振った。 「父さんは僕の顔も見たくないだろうし、それはやめとくよ。それに、他に行くところがあるんだ」  母は肩を落としつつも、少しほっとした顔をしていた。 「そうなのね。今度はもっとゆっくりできる時に来なさいね」  恭介が隣で頭を下げる。 「怒鳴ったり殴ろうとしたり、いろいろ失礼なことをしてしまって申し訳ありませんでした。おじさんにも謝っておいてくださると助かります」 「大丈夫よ。きっとお父さんも許してくれるわ」  母が微笑んだ。母が、今日玄関で会った時よりも十歳くらい年老いて見えて、瑞生は目を逸らしてしまった。 「父さんに分かってもらえるまで、何度でも来るよ」 「お母さんももっと勉強しておくわ。今日は来てくれてありがとう。気をつけて帰ってね」  母は、玄関の外まで出て瑞生たちを見送ってくれた。瑞生は何度か後ろを振り返ったが、そのたびに母が手を振ってくれた。瑞生は、母の愛情を感じた。「正しい方向に導いてあげる」という発言は、子供に失敗を味わってほしくないという愛ゆえの言葉だったのだと思う。瑞生からしてみたら、人生を否定されているような気持ちになるつらい言葉でも、母なりの愛だったのだ。そう考えると、母を責める気にはなれなかった。  瑞生の家が見えなくなると、恭介が目いっぱい背伸びをした。 「次は俺んちだな。でも疲れたよな。別の日にしようか」  恭介がリュックの肩ひもを半分肩から外し、脇のポケットからスマートフォンを取り出した。 「大丈夫。約束したんだし、行くよ」  瑞生は努めて元気そうな声を出した。 「そう? 無理すんなよ」  恭介はリュックを背負いなおしてから道路の端に寄り、立ち止まった。 「今から行くって母ちゃんに連絡するから、ちょっと待ってて」 「了解。久しぶりにおばさんとおじさんに会うの楽しみだな」  直近で恭介の家に行ったのは大学合格が決まった時だ。ケーキとジュースを振舞ってもらったことを思い出して、瑞生は自然と笑顔になった。 「『会えるのを楽しみにしてた』ってぜひ伝えてやってくれよ。きっと喜ぶよ」  恭介がスマートフォンをしまって歩き出した。瑞生もそれに合わせるように歩いた。途中で瑞生が早足になっていることに気づいた恭介が、歩調をゆるめてくれる。瑞生は恭介との距離を詰めた。手が触れ合うくらいの距離だ。さすがに手を繋ぐ勇気まではなかったが、女装している時と同じくらい恭介に近づくことができた。瑞生は、全身が幸せな気持ちで満たされていくのを感じた。
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