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7
恭介の両親には、昼食をごちそうになってしまった上に、車で駅まで送ってもらった。真山家とは真逆の歓迎ムードに面食らってしまったが、この二人に育てられたからこそ恭介はこんなにもまっすぐなのだろう、と改めて実感することができた。
午後四時台の帰りの新幹線の中、隣の席の恭介に小声で話しかけた。
「玄関扉開けたら、恭介の両親が土下座してたの、めっちゃびびったんだけど」
「『今回は私の軽率な発言でご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした』ってね。あれは俺もびっくりした」
恭介は、ペットボトルの炭酸飲料を飲みながらケラケラ笑っている。
「笑い事じゃないよ。本当にごめんね。僕と僕の両親がいろいろ騒いだから、気を遣わせたんだよね。お昼ご飯のあとにケーキまで用意してもらって申し訳なかったな」
瑞生は麦茶のペットボトルのキャップを見つめた。
「大丈夫大丈夫。『俺はもう、瑞生くんのことも息子だと思ってる』って父ちゃん言ってたし。飯も、瑞生が『おいしい、おいしい』って食うからさ、母ちゃん喜んでた。てか、むしろ俺の方がごめんね。瑞生んちであんなに騒いでさ」
恭介の声のトーンが下がった。
「いや、むしろ助かった。恭介がいてくれたから、言いたいこと全部言えた」
「おう。なら良かった」
一瞬静かになって、瑞生は麦茶を一口飲んだ。恭介は、二回ほどペットボトルに口をつけて離す行為を繰り返したあと、ぽつりと呟いた。
「なんかこれ、照れくさいな」
「だね。続きは家に帰ってからにしようか」
瑞生ももう一口麦茶を飲んでから、目の前のドリンクホルダーにペットボトルを差した。
東京駅で夕飯を食べたり、帰りしなコンビニに寄ったりして、結局アパートにたどり着いたのは夜だった。
「いやー、疲れたな。今日は盛りだくさんだった」
恭介が冷凍庫に二人分の棒アイスをしまいながらため息をついた。ちなみに瑞生がチョコレートで、恭介がストロベリーだ。コンビニから出たところで袋を開けようとしたら、恭介に止められた。「俺、とっておきのアイスの食べ方知ってるぜ」なんて言うから、楽しみにしていたのに、今日はお預けか。瑞生は未練たっぷりに冷蔵庫を見てから恭介に視線を移した。恭介はシンクで手を洗ったあと、電気ケトルに蛇口から水を注ぎ始めた。背中越しに問いかけてくる。
「コーヒー飲む?」
「いる」
瑞生は即座に答えてから恭介に近づいた。恭介を左側に押しやり、自分の体をねじ込んでシンクの蛇口をひねった。水の下で手のひらをこすり合わせると、しぶきが跳ねた。それがかかったらしい恭介が、咎めるように声を上げる。
「流しじゃなくて、洗面所使えよ」
「今日はなんとなく、恭介のそばを離れたくないから」
水の流れを見つめたまま答える。自分で言ったくせに耳が熱くなるのを感じる。
「かわいすぎ」
瑞生の左側に影が落ちる。反射的に見上げると、恭介の親指が瑞生の顎に当てられた。わざとチュッという音を立てて、恭介は唇を重ねてきた。するりと頬をなでたあと、何事もなかったかのように恭介が水切りかごからマグカップを二個取り出して、しみじみと言った。
「これもそろそろ買いに行かないとな」
瑞生の深緑のマグカップと、恭介が今使っている百円ショップの水玉模様のマグカップだ。水玉模様のカップは、代替品のはずが一ヵ月以上使ってしまっている。
「明日行こっか」
「お互い、元気だったらな」
恭介が微笑みながら、それぞれのカップにインスタントコーヒーの粉をたっぷり入れていった。恭介がいれてくれるインスタントコーヒーは、瑞生がいれるものよりも少し濃い。
二人でお湯が沸くのを待って、マグカップに注いだ。それぞれのカップを持ち、テーブルを挟んで向き合うように腰を下ろした。
先に瑞生が口を開く。
「恭介、今日は本当にありがとう。助かったよ」
「役に立てたなら良かった。やっと俺を頼ってくれたって、嬉しかったんだぜ?」
恭介が親指を立てた。二秒ほどそのままだったが、それをほどいてテーブルの上で両手を組むと、マグカップから立ち上る湯気を見つめた。
「こう言っちゃなんだけど、瑞生のお父さんがあんなに頑なだって思わなかったよ。遊びに行った時、会うのはお母さんだけだったしな」
瑞生が苦笑する。
「昔からああなんだ。父さんは自分がこうって決めたらそれ以外は認めないし、すぐ不機嫌になるし、怖いよ」
恭介が不思議そうに眉を上げた。
「怖いって言ってたわりには、ちゃんと言い返してたよな。女装してたのも、父親に男と付き合ってることがばれて罵られるのが怖かったからだろ? 何か心境の変化でもあったのか?」
瑞生はいつもよりも黒いコーヒーを口に含んだ。飲み下した時、液体が食道を通り、胃に落ちていくのが感じられた。
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