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6.ひとりの人間になる
それからわたしは、その人に魔法の世界のことをあれこれ尋ねて教えてもらった。
向こうには月が二つあること、服装はこちらのわたしたちとあまり変わらないこと。
「だいたい動きやすい格好をしていますが、個人主義が強いので。着たくなったら豪華なものや伝統的なものでも好きに着ますよ」
食事があまりおいしくないこと、本が暗号文字で書かれていること、学校がとても少ないこと、空は飛ぶ人たちや乗りものがいっぱいで朝から夜まで渋滞を起こしていること。
「だから今の流行は空よりも地上なんですよ。魔法で出した馬車や車、鉄道を走らせるんです。ですが魔法なので。すぐにしまえるんです。軽いんです。
こちらの鉄道のような重みや揺れもないし、町の風景に線路がとけこむこともないんです」
その人は残念そうに、そしてこちらの世界を羨ましそうにして、話してくれた。
電車の車内や窓の外を見て、電車のカタンコトンと揺れる音を聴いては、「実にいいです」としみじみした口調で何度も頷いていた。
「魔法を使えるための、もとになるエネルギーみたいなのってあるの?」
物語だと、精霊とか自然の力とか、いろいろある。どんな力を使うのか、内心の期待をおさえ切れずに気軽な気持ちで訊いた。
「最初に話した、寿命の仮説と同じ話になりますが」
その人は、さっきまでとは急に変わって、どこか遠くを見るような表情になる。わたしが目の前にはいないみたいに。
「すべての魔法使いの寿命を源にしているのではないか、と言われています。
寿命の尽きかたが不自然なんです。まだ体力が充実しているにもかかわらず、みな例外なく八十歳で終わる。あかりの世界の二十年ですね。
残っているはずのエネルギーをどこに回しているのか。
ですが、仮説を実証することはできません。『すべての魔法を止めた状態で数十年単位の経過観察』をおこなうと、ぼくたちの世界は立ち行かなくなります。
魔法は世界のすみずみにまで行き渡っています。魔法があれば、気候は温暖で食料に困ることもない。病気やケガは簡単に治るし、寿命は回避できなくても自分の複製は作れます。
作った複製は大変な子育てをする必要もなく、生まれて五年程度まで成長した状態から始められます。初代から前代までの知識と記憶すべてを受け継いで。
新しい子どもはもうほとんど生まれません。
今いるのは、大半が複製された者たちです。
魔法を失うことの途方もない大きさの前では、ぼくたちの『個性を持つ、ひとりの人間としてあつかわれたい』という願いはささやかすぎるんです」
その人はずっと、淡々と話していた。
その人たちは、長い長い時間の中で何度も繰り返し同じことを考えたのだろうか。
「あかりからの電話が、ぼくは本当にうれしかったんです。
あかりは、ぼくに個性をくれた。あかりと話したぼくは、ひとりの人間になれた」
その人はわたしをちゃんとその眼に映して、穏やかだけれど芯の強さを感じさせる声で、そう言った。
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