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スモークが渦巻く薄暗いライブハウス。むっとするような人々の熱気の中、スピーカーから鳴り響く轟音が、私の心臓を揺さぶった。
私はただ友達の、京子の付き添いで、ライブハウスに来ただけだ。なのに、どうしてだろう。ステージの中央で鋭い悲鳴のような歌声を響かせる金髪の女性から目が離せない。
「明日香。これがアントワネットループだよ!」
京子が何か耳打ちをしてくるが、私には遠くのざわめきのようにしか聞こえない。
心臓に突き刺さるようなギターリフと悲鳴のような女性の歌声がぶつかり合い、まるで私の内側を引き裂くように響き渡る。
自分の呼吸も、心臓も、全て止まってしまえばいいのに。そう願ってしまうくらい、アントワネットループの音楽は完璧だった。
ギラギラと輝くライトが女性のエレキギターを眩しく照らし出す。フロアに反射する光は、まるで私の足元のように、グラグラと不安定に揺れていた。
不意に私の視線と、女性の視線が交差する。氷で背中を撫でられたようで、私は思わず息を呑んだ。
まるで全てが静止してしまったように、歓声も音楽もどこか遠くへ消え去っていく。
そんな私を見つめながら、女性は不敵な笑みを浮かべ、腕を天に突き上げる。
「次がラストだよ! 『友よ、あの日まで』!」
その声と共に、歓声が、音楽が、滝のように押し寄せて戻ってきた。
女性につられるように、観客が腕を突き上げる。私もそれに倣って、腕を突き上げた。
「皆、サイコー!」
そう叫んで髪を振り乱す女性から汗が飛び散る。その一滴一滴は、まるでダイヤモンドのようにきらめいて、美しかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
これが、私とマリーの出会いだ。
音楽とはなにか、私はそれまで知らなかった。
でも、マリーは、そんな私の脳みそをギターで殴りつけてみせたのだ。その暴力性がもう、私を惹きつけて離さない。
もっとあの感覚を味わいたい。もっとあの音楽が聞きたい。もっと、もっと、マリーのことが知りたい!
その瞬間からマリーは私の最推しになった。
それから、私は何度も何度もアントワネットループのライブに通い詰めた。アントワネットループの、いや、マリーのギターと歌声を聞くために。財布はどんどん軽くなっていったけれど、むしろその軽さが心地よかった。
そして今日も私は、ライブ終了後のマリーに声をかける。
「マリー。今日のライブも最高だったよ」
私はふと、マリーの金髪の生え際が黒髪に戻っていることに気づいた。今回は髪を染めなおす暇もなかったのだろうか。
「えへへ、ありがとう」
マリーは私の言葉に、ステージの上とは違う、やわらかな笑みを浮かべた。
私はなんとかマリーとの会話を続けたくて、言葉を探す。そして咄嗟に、
「私、もうすぐ高校生なんだけど、新しいこと始めた方がいいかな?」
と問いかけた。
マリーは一瞬、何か考えるように眉をよせる。しかし、すぐにまた優し気な笑みを浮かべた。
「それなら、ギターだよ。私みたいにさ」
そう言うと、マリーは首からかけたエレキギターをかき鳴らしてみせた。アンプがつながっていないから音は鳴らないが、それでも私には音が聞こえた気がした。
「まあ、一番大事なのは、自分の気持ちだけどね」
そんなマリーの言葉はもう、私の耳には届かない。
マリーと同じギター。その甘美な響きは私の心臓をドキドキさせる。でも、私なんかが本当にギターを弾けるだろうか? マリーのように、心を震わせる音楽を弾くなんて……。けれど、その不安が私を追い詰めれば追い詰めるほど、彼女と同じことをしたい気持ちは大きくなっていく。
不安を感じる私に気づいたのか、マリーは私の両手を優しく握った。
私が驚きながら顔を上げると、マリーの瞳が私をまっすぐに貫いていた。マリーの瞳を囲む長いまつ毛、その奥に潜む情熱的な黒い瞳が、私の心をつかんで離さなかった。
「うまくなったら、セッションしよう!」
その言葉は私がギターを始める理由として、十分すぎた。
私はマリーの手をギュッと握り返す。ギターが弾けるようになれば、マリーと一緒にセッションができる。その事実が尊くて、恐れ多くて、思わず涙が出そうだった。
「うん」
それが私の精一杯の返事だった。
私は家に帰るや否や、両親にテレビの前で宣言する。
「私、ギター始めます!」
拍手喝采スタンディングオベーションで受け入れられると思っていた。でも実際の両親の視線は冷ややかだ。
「あんた、ギター買うお金なんてあるの?」
母のその言葉に私はギクリと肩を揺らす。
「お小遣いの前借りはなしだからな」
母の肩を持つように父は続ける。
「そ、そんな~」
私は思わず、その場にへたり込む。でも、諦めてなんかいられない。全てはマリーとのセッションのため。
私は皿洗いから洗濯干し、果ては夕飯の準備までこなしてみせた。そうすることで、なんとか父と母の機嫌を取り、お小遣いの前借りを許してもらいたかった。
しかし現実は甘くない。いくら時間が経ってもお小遣いの前借りは認められなかった。
高校の入学式も迫り、もう諦めかけた時、転機は訪れた。
母がギターを持ってパートから帰ってきたのだ。
「はいこれ」
母はそう言って、私にギターを渡す。
ズシリと重い、アコースティックギター。エレキギターとは違うけれど、ギターはギターだ。
ネックの部品が錆びているのは、長く放置されていた証拠だろう。古びた印象はあるものの、私の期待感は最高潮に膨れ上がった。
「同じレジ打ちの人の、妹さんがねぇ、もういらないからってくれたのよ」
母はお煎餅をバリバリとかじりながら、得意げに言う。
「よくそんな立派なギターもらえたな」
父はお茶をすすりながら、感心したようにつぶやいた。
私はそっとギターを撫でる。このギターは私の夢への道を一緒に歩むのだ。
すごくすっごく大事にしよう、名前は『エリザベス』なんてどうだろう。私はそう思いながら、早速ギターのネックの部品を磨き始めた。
「ピカピカにしてあげるからね、エリザベス」
エリザベスは静かに私の胸に抱かれていた。そのボディは私には少しだけ大きかったが、そんなことはすぐに気にならなくなった。
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