記憶の宝箱

1/1
前へ
/1ページ
次へ
好きになってはいけない人を好いてしまった。口には出せない想いを抱えてしまった。同じクラスの同性の女の子のこと。皆に慕われているあの子のこと。 きっかけは些細だった。皆に優しいあの子が、皆から苗字にさん付けで呼ばれる私に名前で読んでくれたから。皆が嫌がる係を率先して引き受けるから。そんな当たり前に皆から頼られる、少しぶっきらぼうな物言いの彼女の虜だった。 私はいつも慎重で、悪くいえば臆病で。「友達になんてなれなくても、一目見られれば」そうやって、仲良くなりたい自分に蓋をして今朝もすれ違うあの子にときめいていた。一目見るだけでなんでも頑張れちゃうような、優しい薬のようなあの子に。 気づけば新学期から数ヶ月が経ち、私はあの子の1番仲の良い友達と友達になった。要は天邪鬼だったのだ。「友達になりたい」を言動に移せずに、おっとりとしていて優しくいつも隣にいる子を利用した。 「今日も可愛いね」と容姿褒めて、「凄いね」と特技を褒めて。嘘ではないけれど本心は違うところにある。あの子への想いが大きくなればなるほど、隣のこの子の机へ毎日出張してしまう。 美術の授業にて。好きなあの子に話しかけられた。いつも皆を見てるあの子が私だけを見てくれた瞬間。心の準備をしていなくて、心臓をバクバク言わせながら、いつにも増した至近距離で好きな顔を見た。「絵、上手いね」充分だった。いっぱいになった。言語化するには足りない程の感情を貰えた。例えば、私のことを見ていてくれていたこととか。顔が綺麗だなとか。新しい気づきが多く、脳が現状把握が出来ず、返した言葉は「え、ありがとう」だけだった。私は半ば推しのようなあの子を、あの時より一層好きになったのだ。 一年も後半、やれ旅行だとか、やれ体育大会だとか。正直友達が少なく内気な私は乗り気ではなく憂鬱だった。しかし何の巡り合わせか、少しだけ話せるようになったあの子とあの子と友達と同じグループになったりもした。時に2人の仲の良さに嫉妬をして苦い気持ちになりながら、目の前の幸せを摂取して釣り合いを保っていた。 そんなこんなを書いた私は実はあれから数年後の私である。友達にも、勿論それ以上にもなれなかった私の記憶だ。あの子の強さも優しさも笑顔も鮮明に覚えているのに、何一つとして行動を起こさなかったことを後悔しか出来ない私の記憶だ。 そうやってあの子に一喜一憂している間、あの子もあの子の友達も、勿論その他の人達も日常を過ごしていた。自分の目指す未来へ勇気を出して努力していた。慎重で臆病な私とは違って。 もっと友達を作れば良かったとか、あの子に話しかけてみれば良かったとか、夢を見つけて時間をかけられたらとか。そんなことを今になって思うのである。忘れられないあの子のことを胸の内に閉まったまま大切に鍵をかけて、あの子の好きな部分をコピー&ペーストする。誰にも負けないあの子になれば自信を持って生きられそうだ。どうせ忘れられないのなら私に憑依させて仕舞えば。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加