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「あ」
マッチをすりおろした音が部屋に小さく響きました。
彼はその音がシュラウドの声だとわかるのにずいぶんと時間がかかりました。
彼の耳にはどうしてもシュラウドの声が人の声に聞こえませんでした。
シュラウドが人形となって既に5年の月日が経っていました。
長らく話さなかったシュラウドのカナリアに似た朗々とした声は、いつの間にか枯葉となっていました。
驚いたままの彼の横を、シュラウドがゆっくりと通り過ぎどこかに向かって歩きだしていました。
人形と変わらなくなった主ライドが突然何かに反応をした事を彼は驚きに見た表情でシュラウドの背中を見つめていました。
長らく歩いていなかったからか、ぎこちなく手と足が同時にでる不恰好な足取りでシュラウドは、屋敷の廊下を歩き庭に出ました。
普通の人では5分で歩ける道のりも、久しぶりに動いたシュラウドにとっては長い道のりでした。
シュラウドに何を言われたわけでもないのに、彼はその後ろをついて歩きました。
どんな時でも彼はシュラウドを追いかける事が癖になっていたのです。
昨日と同ことを書くものだとばかり思っていた彼にとって、シュラウドの突然の変化は不安もありながらも何処か期待に心を躍らせていました。
シュラウドは屋敷の外に出ると一本の木の前で止まりました。
シュラウドから少し離れた場所に立つ彼が見た限りでは何もないそこに何があるのだろうと、彼の興味が顔を出しましたが、彼は我慢をしてシュラウドを見ていました。
シュラウドが、ぎこちなくその場に座り込みやがて茂みに隠れていた木の根元から何かを拾いました。
それはガタガタな刺繍の入った小さなハンカチでした。
「ずいぶん不器用な刺繍ですね」
彼はつい声を出してシュラウドに声をかけていました。
それは彼が意識もしない不躾な問いかけだと気が付いた時には遅く、音となってシュラウドに届いてしまっていました。
「ああ……」
シュラウドは彼の声に暫くして頷きました。
彼はそんなシュラウドに目を見開いて瞬きを繰り返しました。
シュラウドが自分の意思を見せたのは、彼を庭に誘ってから初めてのことだったのです。
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