3 昭和9年9月 夏の終わりに

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3 昭和9年9月 夏の終わりに

「賢ちゃんは賢い子だね。名前のとおりだ」  ちゃぶ台の上に藁半紙(わらばんし)が二枚。  賢治と私のテスト用紙だ。  100点満点と68点。  満点の方には花丸。  お母さんに頭を撫でられている賢治が羨ましくて私は言った。 「ずるいよ! 賢治の勉強は私が教えたんだよ。私は誰からも教わってない!」  私の文句に母が笑った。 「お姉ちゃんなんだから当たり前でしょう。あなたも、もう少し頑張らないと。兵役に行ってらっしゃるお父さんだって悲しみますよ」  そう言うとお母さんは立ち上がって、台所に消える。  お母さんにそれを言われるのは、弱い。  正座して、膝の上で握る手が少し震える。  賢治が心配そうに私の手をそっと握る。  私は賢治の手を振り払う。  驚いて私の顔をジッと見る賢治に思い切り、変顔をして見せると賢治が吹き出した。 「お姉ちゃん、虫取り行こう!」  賢治に誘われて私達は、虫取り網と虫かごを持って縁側から庭へ。 「ちょっと! あんたたち、オヤツはどうするの?」  蒸かし芋一本をザルにのせてお母さんが台所からやって来た。  怒っていても、おやつはきちんと用意してくれるお母さん。  お母さんは農家を営んでいるおばさんの家に畑仕事に行き、僅かなお給料と野菜や米を貰って帰ってくる。  おやつは大抵小さな蒸かし芋を賢治と半分ずつ。  ちょっとずつしかないけれど、私はお姉ちゃんだから、いつも賢治に大きい方をあげるんだ。  喧嘩もするけれど、私の後をついてくる賢治はとても可愛い弟だった。  裕福ではないけれど、私達はそんな風に父を待ちながら、大好きな母と弟と穏やかで幸せに過ごしていた。
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