5 昭和19年10月 召集令状

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5 昭和19年10月 召集令状

 秋も深まり、日も暮れたその日。  青年団の急便団員が、神妙な顔つきで我が家にやって来た。 「三原 賢治(みはら けんじ)さん、おめでとうございます!」  急便団員は余計な事は言わない。  名前を確認して、お祝いを言うだけ。  賢治は神妙な顔で「はい」と返事をして受け取り、頭を下げる。  近所の人たちがワラワラと集まってくる。  口々に「おめでとう!」と祝う。  おめでとうなものか、そう思っても口に出すわけには行かない。  賢治が覚悟しているのだから。  母はすぐに1000人針の用意に取り掛かる。  来る日の為に少しずつ用意していたようだ。  戦況は悪化していた。   マリアナ沖海戦で大敗していた日本に米軍機B29が来襲し、無差別な爆撃が熾烈を極めている。  ラジオでは毎日防空情報を放送し、私たちは必死に耳を傾けた。  国営放送では日本の勝利を放送していたが、私たち国民の生活はどんどん困窮して行った。  神風特攻隊の募集も始まり、14歳という若さの少年たちがパイロットとして戦地に赴いた。  それだけ人手が不足していたからだった。 「しっかりな! お国のために働いてこい!」  近所のおじさんが応援する。  仕方がない、仕方がないと自分に言い聞かせる。  泣いてはいけない。  悲しみを口にしてはいけない。  私は賢治のお姉ちゃんだから。  毅然としていなければ。  複雑な本心を隠し、表情を引き締めて近所の方々に挨拶をしている賢治を見つめる。  今すぐ、戦争が終わればいいのに。  賢治を戦地に送らなくてもよくなればいいのに。  非国民と言われるから口には出せなくて。  でも心は張り裂けて、痛くて痛くて仕方がなかった。  
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