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サボテン
8月22日
連日の暑さで、朝に弱い私が起きる頃には既に気温が上がっているので、我が家のお庭が水蒔きをしてもらえるのはお日様が住んでいる5号棟の南を廻り日が陰った17時過ぎ。
水をあげるのも気持ちはうつつで適当に全体に水をあげて終了していました。
昨日は余りにも久しぶりに多肉ちゃんたちの棚にも水をあげました。
多肉ちゃんたちは鉢植えだし、直射日光はあまり好まないのでベランダに住んでいます。
夏だとこの場所は直射日光は当たらず、冬になると今は外してある温室のビニールもかけてぬくぬくになりますので良い場所だと思うのです。
我が家はサボテンが多肉ちゃんの他に幾つかあります。
時々花を咲かせるウチワサボテンの一種ですね。ウチワサボテンと、この名前も知らないサボテンは自分で買ったものです。どちらも花を咲かせるまでに何年もかかっていましたけれど、咲かせ始めると毎年のように花を咲かせています。
でも、今回はなんだかでかい。
それも、遺品のサボテンなんですよね~。
名前も分からないし、やたらにふえるし、日陰だと細長くなっちゃうから、なんども鉢分けをして、駄目な物を捨てたりと、それなりに手はかけましたが、肥料をやるわけでもなく、この頃に至っては水すらろくにあげていませんでした。
花ですよねぇ。多分。他の2鉢はこんな感じ。上から落ちてきた他の多肉ちゃんが同居しています。
以前私の日記によく出てきていたお刺身の美味しい「石亭」さんの常連さんがマスターにあげて、増えたのを貰ってきていたんです。
私が一時期長野の実家に帰っている4年間の間にその常連さんはパチンコででなくて逆上していた時にフィーバーが出て、興奮して倒れ、そのまま亡くなったのです。もう15年ほどになるでしょうか。
私の母と同じ年だったので東京のお母さんと呼んでいました。
息子さん達はパチンコ屋で倒れて死ぬなんて恥ずかしいと言っていましたが、人生で一番いい瞬間にぽっくりと亡くなられた様は、まるで彼女の人生を表しているようで、その頃まだ存命だった実母はそんな風に死にたいわ~とよく言っていました。
実母も、気がかりだった中学校のジャージと制服の販売が終った翌日に心臓の大動脈解離で、一人暮らしの独居老人を訪ねてきていた警官の前でぱたりと倒れてそのまま亡くなりました。
一人暮らしだったのに、一人で亡くならなかった事。倒れてすぐに瞳孔が開いたことなどから本人はきっと何か感じる暇もなかっただろうと説明を受けました。
そんな東京のお母さんの残したサボテンだったので、鉢分けする時に入らない部分を捨てることはあっても、全部捨ててしまう事が出来ずに未だ、3鉢も持っていたのです。
もうこの鉢に植えてから7年近くたちます。
特に大きくもならず、特段増えるでもなく、静かに生きていたサボテンからこんなに大きな芽が出てくるだなんて本当に驚きました。
これはきっと私に日記を書き続けるように東京のお母さんがネタをくれたのだと思います。
本当に楽しい人で、若くして旦那様を病気で亡くした後男児3人を立派に育て上げた豪傑でした。
身体は小さかったけれど、北島三郎の「祭」を歌う姿は今でも思い出せます。それは楽しそうに朗々と歌い上げるのです。
きっと彼女のような見事な花が咲くことを祈って。
それでは、また 次の更新まで さようなら。
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