柚子の思い出作り

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 本当は、裕司に久しぶりに会ったらどう思うんだろう、となにともなしに考えていた。すこしは心が揺れるんだろうかとか、逆に向こうが未練を打ち明けてくるのだろうかとか。けれどすべては杞憂に終わったようだった。比べるのはおかしな話だけれど、どこを取っても今の彼氏の方が私にはぴったりだとしか思えなかったのだから。たとえば、車での罵声。人格が変わるというのではなく、単に裕司は短気だった。それが酷くなるのが運転中だった。今の彼氏は穏やかで、そんなことはまずしない。そして、こちらの気持ちを読み取るのが裕司は見事に下手だった。言わなければ分からないことを私はあまり言えない性格で、だから私たちの関係は拗れたのだ。彼氏は、驚くほど私の心を読み取るのが上手かった。私達の相性はやはり、ぴったりだったのだ。  翌日、昼過ぎまで家で柚子をひたすらに可愛がった。裕司の雰囲気でも思ったけれど、これが本当に今生の別れになるだろう。なにより、こんなに後ろめたい思いをする旅など、もうしない、と心の底から思ったからだった。ただ、元気でいてくれますように、そう祈って、抱きしめた。柚子は鬱陶しそうにイナバウアーをしていたけれど。それでも顔を近づけて、頬ずりをして。なんども何度も、「長生きしてね、元気でね」と言った。またね、と言いかけて、またねじゃないことに苦笑した。  裕司が駅まで送ってくれるといって迎えに来てくれた。車中でも私たちはくだらない、当たり障りのない話だけをした。湿っぽい別れをお互いしたくはなかったのかもしれない。それでも、と私は駅に着く手前で口を開いた。 「裕司と付き合えて、私は良かったと思ってるよ」  裕司はすこし驚いたような戸惑うような顔をした後、 「反面教師にできるもんな」  と自虐を言って笑った。もし彼に未練があったとしても、私が最後の芽を摘み取ったのだった。 「そんなことはないよ。でも、人と住むってどういうことか、なにに気を付けなきゃいけないかとか……分かったから」 「…そりゃ良かった」  私たちはそう言って、目も合わせずに笑った。  この車が駅に着いたら本当になにもかもが終わるんだな、と別れ話をしたときよりも引っ越したときよりも鮮明に胸を過っていた。別れも引っ越しも、勢いというのは乱暴すぎるが、バタバタだったからそんな風に思う暇はなかったのだ。  駅のロータリーにさっと裕司が車を停めると、私はすぐさま荷物を下ろそうと車を降りた。後部座駅の扉を開けて荷物を出し終えると、裕司に向かって「じゃあね」と言った。まるで、明日にでもまた会える友人かのように。裕司はそんな私にふと「もしさ」と言った。 「もし、柚子を飼いたくなったら言ってこいよ。そん時の状況次第にはなるかもだけど、譲ってやらねぇこともねぇから」  私は思わず、えっ、と漏らしたが、じゃあなと車を出した裕司は返事を聞いてはくれなかった。本当に最後の最後まで、大事な話し合いのできない男だ。でも、そんな未来が来たらいい。あと一回すら来ないと分かっている未来でも、来たらいいなと思えるだけ心持ちは明るくなった。  この新幹線のホームとも、もう二度と会うことはないんだなと思いながら、次の車両が来るのを待っていた。自由席が空いているといいな、と願いながら。
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