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1. 序 ~あやかしと出会いました
鼬風は、後宮で夜間の見回りの仕事をしている。
外廷では衛兵が、内廷(後宮)では宦官が担当するはずのもの。
それをなぜ女官の鼬風がしているのかと言えば、ひとえに人手不足だから。
夜警の仕事は、皆がやりたがらない。
その理由は、夜の後宮には『人ならざる者』が夜な夜な徘徊をしているから、らしい。
これまで、誰かが具体的に何かを目撃したとの話は一切ない。それでも、気配を感じるのだという。
皆が怖がって、為り手がいないのだ。
鼬風はなぜそんな仕事を希望したのか。
理由は単純で、給金の高さに釣られた鼬風が女官長へ直訴したからだった。
◇
「ホホホ、女子に務まる仕事ではございません」
予想通り、女であることを理由にあっさりと却下された。
しかし、そんなことで諦める鼬風ではない。
「腕には自信があります! ぜひ、腕前だけでも見てください!!」
断られても断られても、一向に引き下がる気配のない鼬風。
あまりのしつこさに、女官長は呆れかえる。
このままでは埒が明かないと、鼬風が次に直訴したのは宦官たちを取りまとめる宦官長だった。
宦官長も最初は難色を示した。それでも鼬風は諦めない。
そして、彼は根負けした。人手が足りていないのは事実であり、駄目で元々と考えた。
鼬風の望み通り腕前を見てもらえることになる。
その結果は───即採用だった。
◇
そんなひと月前のことをつらつらと思い出しながら、 鼬風は今夜も張り切って見回りをしていた。
夜警時には宦官用の官服を着て、髪は無造作に後ろで一つにまとめている。
このほうが、いざという時に動きやすいからだ。
皆が寝静まった夜半過ぎ。さっきまで宮の窓からうっすらと漏れていた灯りも、今はもう消えている。
今夜は満月だ。
こんな月が綺麗な夜は、月明かりに誘われて『人ならざる者』が出没してくることが多い。
さっきからこの一帯を歩き回っている、あの彼のように。
⦅おい、そこのおまえ!⦆
突然声をかけてきたのは、白い衣を纏った若い男のあやかし。月明かりに照らされて、その姿がよく見える。
頭に耳が、後ろにふさふさの尻尾がある。
艶のある長い黒髪に、切れ長の瞳。薄い唇。紛れもない美丈夫の妖狐だ。
もし彼が『人』だったなら、きっと官女や女官たちが大騒ぎしていたことだろう。
それに比べて鼬風は、白髪のような髪色に濃い灰色の瞳の持ち主。
地味な顔立ちなのに、別の意味で目立っていた。
───でも、どんなに見目麗しくても、私は兄さん一筋だけどね……
優しい兄の顔が脳裏に浮かぶ。
フフッと思い出し笑いをしながら、鼬風は妖狐の前を平然と通り過ぎた。
彼女にとって、あやかしは恐ろしい存在ではないのだ。
⦅コラ、俺を無視するな!! さっき、目が合ったのはわかっているぞ!⦆
「……私に、何かご用ですか?」
仕方なく足を止める。
ついつい他事を考えてしまうのは、鼬風の昔からの悪い癖だ。
しかし、通りすがりのあやかしにいちいち反応していたらキリがないのも事実。
なぜなら、鼬風には他人には見えないものが、いつもたくさん見えているから。
⦅この俺を無視するとは、いい度胸だ⦆
妖狐はかなり立腹している。いきなり襲いかかってくるかもしれない。
このまま戦闘状態になった場合、どう対処すべきか。
逃げるのではなく、どうやって戦うか鼬風は考えを巡らせる。
───私より頭一つ分くらい背が高いから、まずは距離を取って様子見かな?
鼬風は戦闘狂というわけではない。
できれば、無用な争いは回避したい。
⦅……おい、俺の話を聞いているのか?⦆
「すみません。聞いています。それで、ご用件はなんでしょう?」
戦闘の代わりに、呆れたような視線が突き刺さってきた。
両親からもよく言われた小言に、ついと目をそらして見ないフリをする。
「見回り中なので、手短にしてもらえると助かります」
これでも、一応仕事中なのだから。
⦅はあ? 見回りなのに、なぜおまえ一人なんだ? 他の奴らはどうした?⦆
「あ~彼らは……」
鼬風に「おまえは強いから、一人でも大丈夫だろう?」と仕事を押し付けて、どこかで遊んでいる。もしくは寝ているのだろう。
毎度のことなので、気にもしていない。
それに、鼬風にとっても一人のほうが都合が良かったりする……これは内緒の話だけれど。
⦅新入り一人にやらせているのか。けしからん輩だ⦆
「あの、私が新入りって、どうしてわかったんですか?」
⦅俺の顔を知らない時点で、すぐにわかる。俺に対するその太々しい態度もな⦆
どうやらこの妖狐は、後宮内では有名なあやかしのようだ。鼬風は一度も噂話を聞いたことがなかった。
目撃者がいないのではなく、目撃しても皆が恐怖で黙っていたのだろう。
───だったら、新入りの私が知らないのは仕方がないよね……
誰かが事前に教えてくれていたら、妖狐に叱られずに済んだかもしれないのに。
ちょっぴり恨めしく思ったが、口には出さない。
さらに怒られると身構えていたが、意外にも妖狐は笑っている。厳密に言えば、彼は苦笑しているのだが。
とりあえず無用な争いは回避できそうで、鼬風は安心した。
「では、私はそろそろ仕事に戻りますので失礼します。たくさん稼いで、家族へ仕送りをしなければならないので」
真面目に仕事をしないと、給金がもらえない。
鼬風は年季が明けるまでせっせと働いて、たくさん仕送りをするのだ。
⦅家族を養っているのか?⦆
「これまで育ててもらった恩返しをするためです」
実子ではない鼬風へ、両親は分け隔てなく愛情を注いでくれた。
血の繋がっていない鼬風を、兄は実の妹のように可愛がってくれる。弟や妹は「姉さん」と慕ってくれる。
決して裕福ではない実家を手助けするために、鼬風は後宮にやって来たのだ。
⦅そのために、宦官になったのか? 大事なモノを切り落としてまで?⦆
「えっと……手術は受けていません」
鼬風は女だから、『大事なモノ』は最初から持っていない。
⦅なに!? そんな奴が、どうしてここに入れるんだ?⦆
問診以外にも、触診もしくは目視で確認をするだろう?と妖狐はまくし立てる。
彼は後宮に長いこと住み着いているからか、『人』の事情をよく知っている。
妖狐へ本当のことを伝えるべきかどうか、鼬風は迷った。
しかし、女とわかった途端に襲われないとも限らない。
「実は、私は半妖なんです。生まれつきアレがないので、宦官になりました」
半分嘘をついてごめんなさい。と、心の中で謝っておく。
鼬風は、人とあやかしとの間に生まれた半妖だ。
だから、女だけどそこそこ腕は立つし、夜目もきく。どちらかと言えば、夜のほうが活動しやすかったりもするのだ。
これは、家族だけが知る鼬風の秘密。
父や母からは「半妖であることは、絶対に他人に話してはいけないよ!」と昔から言われてきた。
でも、この妖狐なら問題ないと判断した。仲間みたいなものだから。
「このことは、他言無用でお願いします。私が半妖であることが周囲に知られたら、仕事を辞めさせられてしまうので」
⦅ハッハッハ! こんな面白い奴が後宮内に居たとはな……⦆
「こんな私でよければ、これからも話相手にはなりますよ。では、また!」
ついつい、長話をしてしまった。
もっと怖いあやかしかと思ったが、話してみるとそうでもなかった。
今度会ったときは、自分が女であると正直に話すつもりだ。
⦅ああ、また会おう。おまえの名と年を教えてくれ⦆
「私は、鼬風といいます。十五歳になったばかりです」
⦅俺は、仔空だ⦆
「仔空さん、ですね」
鼬風は、他人の名を覚えるのはちょっと苦手だ。
それでも、妖狐の名はしっかりと覚えた。
お互いに名を教え合って、二人は別れた。
鼬風はその後きっちりとお役目を果たし、明け方、自室へ戻る。
本来であれば下っ端女官は大部屋だが、夜勤をしている者は特別に個室を与えられている。
布団を一組敷いただけで足の踏み場がなくなるくらいのこぢんまりとした部屋だが、鼬風はとても気に入っている。
朝餉を食べたら、特にやることもない。
さっそく眠りについたのだった。
◇
───うん? なにか外が騒々しい……
鼬風は深い眠りから目覚める。小さい頃から寝つきは良く、一度寝てしまったらそう簡単には目を覚まさない。
寝相の悪い弟に顔を蹴られても、一度も起きたことがないのが鼬風の自慢。目を覚ましたら、鼻血で顔中血だらけだったが。
まだ眠い。でも、そろそろ夕餉の時間だろうか。
今日も食堂の人に、夜食用の包子をお願いしなければならない。
見回り中にこっそり食べるのが、鼬風の密かな楽しみなのだ。他の者がいたら、そんなことは決してできない。
微睡ながら考えていたら、いきなり部屋の扉が壊された。
───えっ、どういうこと?
寝ぼけていた頭が一瞬にして覚醒した。
部屋に入ってきたのは、先輩の女官だ。しかし、すぐには名を思い出せない。
「鼬風、起きなさい! 着替えなさい! すぐに行くわよ!」
「へっ? まだ、仕事をするには早いですよ?」
小窓からは日が差している。いつもより、かなり早起きだ。
だから、まだまだ十分寝られる。
「寝ないでー!!」
掛け布団をはぎ取られて、強制的に着替えをさせられた。
先輩に引きずられるようにして部屋を出る。
「あの、どこへ行くんですか?」
「宰相様の使いが、お呼びなのよ」
「宰相様の使い? なんで私を?」
「そんなこと、私が知るわけないわ! とにかく急ぐわよ!!」
わけもわからないまま連れてこられたのは、内廷(後宮)と外廷をつなぐ門。
門と言っても実際は大きな建物で、中にはいくつか部屋がある。
そこで、後宮内で働く者と面会をしたり、出入りする者を厳しく検査したりしているのだ。
ちなみに、鼬風が本物の女であるかどうかも、ここで目視で確認をされた。
部屋の中に案内されたのは鼬風だけで、先輩とは扉の前で別れた。
名はまったく思い出せなかったけど、この先輩は後輩思いのとても良い人だ。
別れ際に「世話をかけてすみませんでした!」と謝っておいた。
部屋で鼬風を待っていたのは、官吏用の官服を着用した二人の男性だった。
一人は椅子に座り目元だけが開いた頭巾を被っており、年齢は不明。
もう一人は立ったまま、鼬風へ真っすぐに視線を寄こした。
彼の見た目から予想するに、父と同年代のようだ。
「お待たせいたしました」
鼬風が宰相に会ったことは、これまで一度もない。
だから、用件の想像が全くつかなかった。
「うん? 夜警をしている鼬風というのは、君のことか? たしか、宦官だと聞いていたのだが」
「あ~、それは私のことで間違いないです。女官ですが、見回りの仕事に就いておりますので」
鼬風という名は男とも女とも取れるため、勘違いをする者はこれまでにもいた。
「……おまえ、昨夜はどうして宦官などと嘘をついた?」
頭巾の下から、聞き覚えのある声がした。それも、昨夜聞いたばかりの。
でも、ここに居るはずがない。
だって彼は───
「ハッハッハ! 俺がここにいるのが、そんなに不思議か?」
男性が頭巾を脱いだ。現れた顔は、紛れもなく妖狐の仔空だった。
でも、耳と尻尾がない。
どこからどう見ても、普通の『人』だ。
「耳と尻尾を探しているのか? 今は付いていないぞ」
「ハア……なんで自分から言っちゃうのかな」
仔空は、鼬風の目線で気付いたらしい。
他に人がいるから気を遣って口にしなかったのに、まったく意味がない。
「君、少しは口を慎みたまえ!」
「浩宇、構わぬ。俺が許している」
「申し訳ございません。出過ぎた真似をいたしました」
二人は、同じ従者の立場ではないのだろうか。
それに、浩宇も仔空が妖狐だと知っているようだ。
焦って損したと、鼬風は心の中でつぶやいた。
「……仔空さま、如何されますか?」
「女子でも構わぬ。この者の力が、どうしても必要だ」
そう言うと、仔空は鼬風のほうを向いた。
「おまえに頼みがある。俺付きの従者になってくれないか?」
「あの……一つ訊いてもいいですか?」
「なんだ?」
「仔空さんは、外廷では何をしている方なのですか? それなりの身分の方だというのは、薄々察しましたが……」
質問に、ひどく驚いた顔で鼬風を見たのは浩宇だ。
仔空の正体を知らないことが、よほど意外だったようだ。
「おまえは、何だと思う?」
「う~ん、宰相様の筆頭補佐官とか?」
浩宇は、口を開けたまま微動だにしない。
そんなにびっくりするようなことなのだろうか。
もしかしたら、仔空は宰相本人なのかもしれない。
だから、鼬風は先ほどの態度を注意されたのだ。
「外れだ」
「じゃあ、宰相様ご本人ですね。大変失礼しました」
ここは怒られるまえに、先に謝っておく。
「宰相でもないぞ。俺は、この国の皇帝だ」
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