18 故郷の香り

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18 故郷の香り

「申しわけございません。子供たちの費用を優先するあまり、修繕の方には手が回らず」  恥ずかしそうにそう言った牧師に向かってクロスが慌てて首を振った。 「状態など何の関係もありません。あんなものはただの偶像ですよ。人間たちが神という存在を忘れないための道しるべのようなものだ。それよりもここの空気は美味しいですね。まるで私の故郷のような清々しさです」  ニコッと笑った牧師が続ける。 「先ほどは大変失礼いたしました。あまりにも神々しいお姿に、神が降臨されたのかと思ってしまいました。故郷とはどちらなのですか?」  クロスが悪びれずに言う。 「神界ですよ」 「ジンカイ……申し訳ございません。不勉強な身でお国のことを存じませんが、遠いのでしょうか」 「遠いと言えば遠いですが、すぐそこにあると言えばそうです。牧師様はここで長いのですか?」  牧師が頷く。 「はい、神学校を卒業して3年程は各地の教会を回り、この地に落ち着きました。今年で5年目です」  クロスがそれに返事をしようとした時、教会の扉が勢いよく開いた。  駆け込んできたのは女の子だ。 「牧師様、また来た!」  牧師が慌てて言う。 「子供たちをすぐ部屋に! 鍵をかけて隠れていなさい!」  駆け出した牧師の後を追うクロス。   「待ちなさい! 話は私が聞きます! 子供たちに手を出さないでください!」  下卑た顔をした数人の男達が、ニヨニヨと笑いながら小ばかにしたような声を出した。 「まだ何もしちゃいませんぜ? こいつらが勝手に突っかかって来てるだけだ」  カブとロビンがその背に小さな子供たちを庇いながら言い返した。 「教会を壊そうとしたじゃないか!」  年長の子らが子供たちを避難させていく。  カブとロビンは、全員が逃げるまでここを動くつもりは無いとでも言うように、両手を横に伸ばして自分の体でバリケードを作っていた。 「さあ、後は私に任せてお前たちも戻りなさい。子供たちを頼みますよ」  静かに、しかし逆らいようもないほど威厳に満ちた声で牧師が言った。 「おい、行こう。クロスもいるから大丈夫だ」  ロビンがカブの手を引いた。  一度だけギュッと眼を閉じたカブが頷いて、ふたりは孤児院の方へと駆け出した。  クロスは一歩下がって事の成り行きを見ている。 「さあ、話を聞きましょう。まさかとは思いますが、この前と同じ話ではないでしょうね」  牧師の声がグッと低くなった。 「同じですよ。こっちこそ何度も同じことを言わせないでほしいものだ。この国でトラッド侯爵に逆らって生きることなどできるわけ無いでしょう? ここが無くなれば市場の連中も諦めるはずだ。さっさと出て行け!」 「いいえ、どこにも行きません。ここは市民のための唯一の教会です。絶対に動きません」  男たちがニヤッと笑った。 「立ち退き料は受け取っただろう? 何を今更たわけたことをほざいていやがる」 「受け取っていませんよ。その場でお断りしましたとこの前もお伝えしたはずです」 「おやおや、牧師様が詐欺ですか? 俺は確かに見ましたよ? あんたのサインがある領収証をね」 「そんなものは書いていないし、お金も受け取っていません。早く出て行きなさい」  その言葉が合図だったように、男たちが一斉に牧師に殴りかかった。  クロスがスッと体を滑り込ませて牧師を庇う。 「牧師さん! ヘルメを呼んでくれ! 今の俺では無理だが、あなたにはできるかもしれない」  クロスの後ろに庇われながら牧師が聞く。 「ヘルメ? ヘルメという方をお呼びするのですか? どちらにおられるのですか?」 「心の中で叫べば届く。神に祈るんだ!」  危機的状況の中で言う冗談では無いとは思うが、牧師は信じ切ることができないでいた。 「俺を信じろ! あんたの祈りは聖霊が必ず届けてくれる」  妙な説得力に押されて、牧師が胸の前で掌を合わせた。 「慈悲に満ち溢れる天なる神よ。どうかヘルメ様をお遣わし下さい。教会と子らをお守りください」  さすがのクロスも神力がないと、ただのケンカに強いおにいちゃんになり下がるが、何度殴られ蹴られても、牧師には指一本触れさせていない。 「ヘルメ……早く来てくれ。もうダメかも」  ふと気が遠くなったクロスの体がふわっと浮いた。 「邪魔です。牧師様、コイツを頼みます」  クロスは遠くでヘルメの声を聞きながら、辛うじて繋いでいた意識の糸を手放した。  それからどのくらい経ったのか、ゆっくりと目を開けたクロスの前に神界でデートし損ねたペシュケの顔が見える。 「ペシュケちゃん! この前はごめんね。約束してたのに行けなくなっちゃった」  ペシュケが不思議そうな顔でクロスを見下ろしている。 「あれからホントに大変だったんだ。ん? ペシュケちゃん? 怒っちゃったの?」  ペシュケは何も言わない。  クロスは慌てて体を起こした。 「ペシュケちゃん!」 「クロスさん? 大丈夫ですか?」  何度か瞬きをして視界がはっきりとしてきた。 「あっ! アンナマリーちゃん」  不思議そうな顔でクロスの額に手を伸ばしたアンナマリーが言った。 「熱はないみたいだけど」  その言葉に頷いて立ち上がろうとしたクロスだったが、生まれて初めて経験する激痛に顔を顰めた。
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