19 初めての怪我

1/1
前へ
/23ページ
次へ

19 初めての怪我

 アンナマリーの後ろからヘルメの声がした。 「動かない方が良いですよ、足の骨にヒビが入っていますし、腕もざっくりと切れていますからね」 「痛い……痛いよぉ」  アンナマリーに縋りつこうとしたクロスだったが、思うように手が動かない。 「怪我ってこんなに痛いんだ……知らなかった」 「クロスって怪我したこと無いの?」  ロビンが不思議そうな顔をした。 「うん、一度も無いよ。今までで一番痛かったのは父上のゲンコツで、2番目は母上のビンタだ」  不思議な空気が流れたが、それを一切無視してクロスが続ける。 「ここは?」 「教会だよ。牧師様の部屋さ」  きょろきょろと見回すと、壁にはたくさんのシミが浮き、小さなヒビがたくさんある。  ベッドの他には小さな整理ダンスと机と椅子がひとつずつ。  清貧を絵に描いたような部屋だとクロスは思った。 「牧師さんは?」  ヘルメが答える。 「神に祈っておられるよ。敬虔な祈りは神界の糧だ」 「そうだね。子供たちは無事だった?」  今度はロビンが答えた。 「うん、大丈夫。みんな心配してたよ。それとありがとうって言ってた」 「そうか、無事なら良いんだ。ねえヘルメ、あいつらは?」 「生かしてますよ。昨日の男たちとは違って黒幕の直下だったので、少々痛い目には合わせましたけれど」 「神なのに?」 「神の鉄槌というやつですよ」  何を言っているのか理解できないでいるアンナマリーにクロスが言った。 「アンナマリーちゃんはどうしてここに?」 「今日はお客様が少なくて、お料理が余ったから店主さんに言われて持ってきたの。そうしたらあなたが怪我をしてるって聞いて……大丈夫?」 「うん、アンナマリーちゃんが撫でてくれたらすぐに治るよ」  アンナマリーが小首を傾げた。 「私でいいの? ペシュケちゃんの方が良いんじゃない?」  クロスは傷が痛んだ振りで誤魔化した。  アンナマリーが帰った後、ヘルメに担がれたクロスが聖堂に顔を出すと、祭壇の前で一心に祈る牧師と子供たちの姿があった。  ヘルメがボソッと言う。 「尊いですね」 「うん、尊いね。意味ないのに」 「それを言っちゃあおしまいですよ? クロス」  牧師が祈りを中断して立ち上がった。 「クロスさん! 具合はどうですか?」  子供たちも寄って来る。 「ええ、痛いけれどすぐに治ると思います。守り切れなくてすみませんでした」 「いいえ、守り切って下さいましたよ。ヘルメさんが強すぎるのです。指先だけで吹き飛ばしたように見えましたからね。まさに神業でした」 「ははは……」  クロスが乾いた笑いを浮かべる横でヘルメが冷静な声で言う。 「私が連れて帰ります。もしまた何かあったら今日のように祈ってください」 「はあ……わかりました」 「それとあの男たちは雇い主のところに送り返しておきましたから、当分は来ないと思います」 「神と聖霊とあなた方に感謝の祈りを捧げます」  ひょいっとクロスを担ぎなおしたヘルメがロビンに言う。 「さあロビン、帰りましょうか」  右手にクロスを抱え、左手でロビンと手を繋ぐヘルメの後姿が、夕日に染まり長い影を落とした。  牧師と子供たちはその背に向かって自然に頭を下げていた。  市場で売れ残っていた串焼きを買った3人が家に戻ると、トムじいさんとルナが目を丸くして出迎えた。 「あのね、おじいさん……」  ロビンが今日の出来事を話すと、おじいさんはニコニコしながら頷いた。 「それは良いことをしたのう。まあ、怪我をしたクロスは災難じゃったがなぁ」    ヘルメがニコニコしながら言った。 「このくらいなら虫に刺されたようなものですよ。明日には治っているんじゃないですか? それより夕食を始めましょう。閉店前だったのでとても安く買えたのです」  パン籠を中央に置き、皿に盛られた串焼きを囲む。  テーブルにのせられたパンは孤児院に持っていたものとは違い、固くなった黒パンだ。  ルナが甲斐甲斐しくスープに浸してクロスに食べさせてやっている。  その姿を見ながらロビンがポツンと言った。 「僕も強くなりたいな」 「ロビンは十分に強いですよ? 腕力が強いとかケンカが強いというのだけが強さではないのです」  新しい串焼きをロビンに手渡しながらヘルメがそう言った。  トムじいさんが嬉しそうな顔でロビンを見ている。 「ああそうだ。神様の絵をカブに貰ったんだ。学校で配ってるんだって」  ロビンがポケットから出して広げてみせる。  トムじいさんとルナは感心したように手を合わせていたが、ヘルメとクロスは顔を見合わせていた。 「誰だ? これ」 「いや……私も知らないですねぇ」  二人は頷きあって黙っておくことにした。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加