第六話

4/5
前へ
/61ページ
次へ
 別に、決意を持って将棋から離れたわけじゃなかったし、特段嫌いになったというわけでも無かった。  いつしか盤に向き合うのが億劫となり、遂には将棋の事を考える事も無くなった。ただそれだけ。  かつてはあんなに必死になって取り組んだ将棋。  僕が将棋を始めたきっかけは女流棋士だったお母さんの影響と、幼い頃に出会ったある女の子と交わした約束だった。  ただ、母が病気を患ってからは僕が将棋を指す理由は明確にひとつとなった。  無論、母の為だ。  僕が将棋で優秀な成績をおさめる度にお母さんはもの凄く喜んでくれた。  もっともっと強くなって、勝って、母を喜ばせたい。元気付けたい。  その一心で僕は将棋に打ち込んだ。  そうする事でいつか母の病気が治るような気でいた。    学校の勉強は疎かに、将棋ばかりに明け暮れる日々。  とにかく盤を睨み、思考を巡らせ、駒の音を鳴らす。  その一連の流れをひたすら繰り返し、将棋特有の緊張感の中戦ってきた。そして、勝ち続けてきた。  でも、今の僕にはもう将棋を指す理由は無く、出来ればもう向き合いたくないと思っている。  何故なら、将棋は死んだ母を思い出すきっかけとなり、辛くなってしまうから……。  そんな思いもあってか、僕は彼女からの誘いに躊躇する。  それに、もう何年も将棋は指しておらず、そのブランクも気になる。  ペア将棋は、つまりチーム戦だ。故に、かえって迷惑を掛けてしまいかねない。  でも結衣は真剣な眼差しで僕の事を見つめ、そして固唾を飲むようにして僕からの返答を待っている。  まるで告白の返事を待つ乙女のように……。  その様子から、どうしても僕とコンビが組みたい、その一心がひしひしと伝わってくる。  でも、やはり無理なものは無理だ。
/61ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加