第六話

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「ごめん。僕はもう将棋はやめたんだ」  そう告げると、結衣はある程度その返事を予想していたのか「そっか……」と、表情を緩めて小さく俯いた。  思いのほか簡単に引き下がったな、と思ったのも束の間、結衣は再び「でも」と顔を上げ、表情を引き締め、 「……私はどうしても奏君と組みたい。 昔、あんなに目をキラキラさせながら将棋を指していた君は間違いなく将棋が大好きだったはずだよ?」  と、説得に掛かってきた。 「将棋が嫌いになったわけじゃない……指す理由を無くしてしまったんだよ。それに……」  ――将棋と再び向かい合うのが辛い。そう続けようとしたところで彼女の言葉が割って入った。 「――なら、私をその〝理由〟にして!!」 「え?」 「〝理由〟が要るのなら、今後は私の為に将棋を指して! どうか、私のパートナーになって下さい!お願いします」  結衣はそう言って頭を下げた。   「でも……」  それでも躊躇する態度を崩さない僕に、すると結衣はまるで開き直ったかのような勢いで下げた頭をスッと元に戻した。  ……その表情には心無しか不穏な色が浮かんでいた。 「――ねぇ、奏君。 コレ、見て? 何か分かる?」  そう言って結衣が指差した先―― 「え?」  暗がりの中、ベランダ上部にぶら下がる()()に目を凝らす。  ……白く、小さい布?  そして、真ん中に小さな黒のリボンのようなデザイン……って、これってもしかして…… 「私のパンツ」 「――えぇ!?」  何故今まで気付かなかったのかと、自問したくなる程に結衣の居る周辺には洗濯物がずらりと干されていた。  当たり前だ。ベランダなのだから。  ブラジャーもある……。  結衣はこれまでの天使のような表情から一転、ニヤリと悪魔のように表情を歪めると、 「あぁ〜あ、いいのかなぁ〜?明日学校で『奏君にパンツ見られた!』って言いふらしても……」  と、今度は脅しに掛かってきた。  つまりはペア将棋のパートナーにならなければ今後の学校生活を悲惨な目に遭わせる、という事だろう。  ……なんという執念。  というわけで、ここで勝負あり。  僕に残された道はひとつしか無くなった。 (……仕方ない。やるか)  正直色々と思うところはある。  けれど、こうやって僕の力を必要としてくれる人がいた事は素直に嬉しく思う。    思えば、僕の取り柄は将棋しか無かったはずだ。  これを機に再び将棋と向き合うのも良いかもしれない。 「……わ、分かったよ。やるよ、ペア将棋」 「本当? やったー!!」  僕らの住むアパートのベランダに結衣の歓喜の叫びが響いた。
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