第十話

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「定跡を知る事はもちろん大切な事だ。でも、定跡に頼り過ぎるとその人本来の持ち味が死んでしまう事にも繋がる」 「奏君が言わんとする事は分かる。でも、じゃあ、どうすればいいの?定跡は大事。でも、定跡に頼り過ぎてはダメ。幾ら頭では分かっても、イメージができない」  何事もバランス……と、言いたいところだが、そんな抽象的な事を言ったってしょうがない。もっと具体的にアドバイスする。 「とにかく読むんだ。読んだ上で最善手を探す。このサイクルで指すのを心掛けて欲しい」 「それはやってるよ?そもそも〝読み〟だって定跡を元した行為だよね?」  彼女の言う事も一理あるが、それこそが彼女の弱さだ。 「じゃあ、一つ質問するね? もしも相手が定跡を知らない。 いや、()()()定跡で打ってこないような場合……どうする?」 「…………」  問いに押し黙る結衣。 「困るよね?」  続けて問うと結衣は無言のまま頷いてから口を開いた。 「……だからさっきの対局の時も……」 「そう。()()()定跡から外して打ってたんだ。でも逆を言えばあの指し筋は()()()を避けたもの。当然、つけ入る隙はあったはずだ。その勝ち筋を見出せず、むしろ結衣の方から自滅していったのが、さっきの対局の真相だ」 「……そう。全然読めなかった。次奏君はこう打ってくるだろうと思ってても全然それをしてこない。まるで、何も見えない真っ暗な世界で闇雲に指してたような感覚だった……ってアレ?って事は奏君はまた手加減してたって事?」  〝定跡〟を()()()使わなかった事を手加減と思ったらしい。  しかし、僕にはそんなつもりは無かったし、間違いなく全力で叩き潰しにいった。 「いや。それは誤解だよ。僕は間違いなく、()()()()()()()()()()を指したつもりだよ」 「……()()()()()()()()()……?つまり、私の弱点を突いた、って事?」 「その通り。『名人に定跡なし』――なんちゃってね」  必ずしも定跡=最善手とは限らない。それを伝えたかったわけだが、ただ……勢い余ったせいとはいえ、畏れ多くも自分を名人呼びしてしまった事に恐々として、慌ててそれをおちゃらけた風に誤魔化した。  でも、結衣は…… 「いや、なれるよ。きっと。奏君なら――」  と、真面目な表情で僕を見る。その目はまるで、確信を得たかのような目……。  どうやら、結衣は冗談抜きで、本気で思っているらしい。  ――いつの日か僕が、〝名人〟になれる日が来ると。
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